聖光寺墓地にある金子霜山の墓。
金子家は医業を生業としており、
一門家老東城浅野家に仕えましたが、
祖父金子楽山は「闇斎学」の大家として、
※山崎闇斎の提唱した学派で、
朱子学と神道… 続きを読む
広島県広島市 聖光寺/金子霜山墓所
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聖光寺墓地にある金子霜山の墓。
金子家は医業を生業としており、
一門家老東城浅野家に仕えましたが、
祖父金子楽山は「闇斎学」の大家として、
※山崎闇斎の提唱した学派で、
朱子学と神道… 続きを読む
聖光寺墓地にある梅園介庵の碑。
「介菴梅園翁之碑」。
広島藩儒梅園介庵の碑。
介庵は広島藩士平木彦兵衛の子で、
藩校学問所で学んで16歳で句読師に就任。
若くして優秀な若者として藩内で知られ、
藩儒梅園丈二郎… 続きを読む
江戸時代後期を代表する文人頼山陽は、
天明元年(1781)に父頼春水が広島藩に招かれ、
藩儒として登用された為に広島に移住し、
広島城下袋町で幼少時を過ごしました。
藩校学問所に学んだ後に江戸に遊学し、
尾藤二洲に師事して学んだ後に帰郷。
寛政12年(1800)突如… 続きを読む
本照寺は福島正則の家臣小河安良が、
開山の日榮に帰依してを創建した寺で、
妙満寺(顕本法華宗総本山)の末寺でしたが、
現在は顕本法華宗系の単立寺院とのこと。
「本照寺… 続きを読む
称念寺は呉服元町にある浄土宗寺院。
天正15年(1587)の創建とされます。
隣の願正寺と共に仮本陣となっており、
キリシタン禁教以降の宗門改めでは、
関係者の条目申し渡しがここで行われ、
佐賀藩の宗教政策でも重要な場所でした。
「山門(楼門)」。… 続きを読む
西崦精舎は帆足萬里が開いた私塾で、
天保13年(1842)から約8年、
多くの門人達を指導した場所です。
また自身の学究や著作活動を行い、
「入学新論」や「東潜夫論」を著作しました。
「西崦精舎跡」。
西崦精舎があった場所は整地され、
当時の建物は既に失われていますが、
基礎や生活の痕跡は埋蔵されたままとのこと。… 続きを読む
浄満寺は中央区地行にある真宗本願寺派寺院。
天正元年(1573)に初代住職浄心が開基し、
寛永12年(1635)に西本願寺13世良如上人が、
寺号を与えて木佛を授けたとされます。
初めは糟屋郡にあったようですが、
承応3年(1654)に… 続きを読む