揖斐川は古くから舟運に利用され、
上流の大垣や下流の桑名等へ、
物資の運搬や交通が行われていました。
川筋の各所には船着場が設けられており、
今尾の渡しもその一つだったようです。
今尾は大垣と桑名の間に位置する要所で、
大きな市も開かれていたとされ、
尾張藩御附家老竹腰家の陣屋町でもあり、… 続きを読む
岐阜県海津市 今尾の渡し跡
コメントを残す
揖斐川は古くから舟運に利用され、
上流の大垣や下流の桑名等へ、
物資の運搬や交通が行われていました。
川筋の各所には船着場が設けられており、
今尾の渡しもその一つだったようです。
今尾は大垣と桑名の間に位置する要所で、
大きな市も開かれていたとされ、
尾張藩御附家老竹腰家の陣屋町でもあり、… 続きを読む
常榮寺は海津市平田町にある日蓮宗の寺院。
その創建は不明なようですが、
今尾城城主市橋長勝が現在地に移転させ、
正室常照院の追善供養を行ったとされます。
後に今尾を領した尾張藩御附家老竹腰家は、
常榮寺を領内菩提寺に定めました。
「本堂… 続きを読む
行基寺は岐阜県海津市にある浄土宗の寺院。
天平16年(744)に諸国行脚中の行基が、
美濃、尾張、伊勢三国の守護として、
聖武天皇の勅願を得て建立した寺で、
行基はここで入滅して埋葬されています。
南北朝の戦火で全山焼失しますが、
正平年間(1347-1370)に再建。
元禄13年(1700)に… 続きを読む
お亀の方は美濃斎藤家家臣竹腰正時に嫁ぎ、
竹腰正信を生みますがすぐに正時と死別。
後に豊臣家家臣石川光元の側室となり、
石川光忠を出産していますが、
光元正室の嫉妬により離縁されています。
その後に徳川家康の側室となったようで、
家康の八男仙千代(6歳夭折)と、… 続きを読む
高須藩は尾張藩の支藩。
尾張藩2代徳川光友の次男松平義行が、
信濃に3万石を分与されて高井藩を立藩し、
後に高須に移って高須城跡に陣屋を建設。
藩主家は参勤交代を行わない定府大名で、… 続きを読む