伊東甲子太郎は新選組の参謀でしたが、
思想の違いで脱退を決意するに至ります。
脱退は局中法度で切腹となってしまう為、
新組織立ち上げによる分離のカタチをとり、
御陵衛士を立ち上げました。
分離には局長近藤勇… 続きを読む
京都府京都市 月真院/御陵衛士屯所跡
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伊東甲子太郎は新選組の参謀でしたが、
思想の違いで脱退を決意するに至ります。
脱退は局中法度で切腹となってしまう為、
新組織立ち上げによる分離のカタチをとり、
御陵衛士を立ち上げました。
分離には局長近藤勇… 続きを読む
新選組の名を轟かせた池田屋事件。
現場の池田屋跡は居酒屋となっています。
「池田屋跡(旅籠茶屋池田屋 はなの舞)」。
新選組をコンセプトとした居酒屋で、
実に上手な商売であると思います。
「池田屋騒動之址」。
池田屋の店先あります。
元治元年5月下旬。
新選組に捕らえられた枡屋喜右衛門… 続きを読む
慶應3年10月。
坂本龍馬は木材商酢屋から宿所を移し、
土佐藩邸向かいの醤油商近江屋へ移動。
龍馬は寺田屋事件で捕吏を殺傷しており、
新選組や京都見廻組が探していた事から、
藩邸に最も近い場所にしたとされます。
「近江屋跡」。… 続きを読む
慶応3年11月15日。
坂本龍馬と中岡慎太郎は近江屋で暗殺され、
海援隊の陸奥宗光は仇を討つことを誓い、
紀州藩が暗殺事件の黒幕であると断定し、
※紀州藩はいろは丸事件で遺恨がある。
紀州藩公用人三浦休太郎… 続きを読む
新選組参謀伊東甲子太郎は元々志筑藩士で、
父鈴木専右衛門の罪で藩を追われています。
※この時の名は鈴木大蔵。
剣術修行で水戸に出て金子健四郎に入門し、
水戸学の影響を受けて勤皇思想に目覚め、
後に江戸の… 続きを読む
新選組は西本願寺より不動堂村に移転。
隊士吉村貫一郎が西本願寺側と交渉し、
諸経費全てを西本願寺が負担しています。
新しい屯所は10000㎡の広さに、
表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、
幹部居間、平隊士部屋、客間、馬屋、
物見中間と小者部屋、
30人が入れる大風呂など、
その規模は大名屋敷並みであったという。
残念ながら間取りなどは判っておらず、
このような感じであったとしかわからない。… 続きを読む
西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山。
その境内は世界遺産にも登録されてます。
本願寺は親鸞の廟堂を曾孫覚如が寺院とし、
8世蓮如の代に迫害を受け越前吉崎… 続きを読む