下関市といえばフグですね。
とはいえ下関に住んでいますが、
毎日フグを食べてるわけではありません。
いくら本場といっても高級魚ですので、
そう簡単には食べれません。
とはいえ子フグのから揚げなどは、
スーパーで安く買えたりします。
「下関市内のマンホール」。
このフグというお魚ですが、
猛毒を持っている事が知られており、… 続きを読む
下関市といえばフグですね。
とはいえ下関に住んでいますが、
毎日フグを食べてるわけではありません。
いくら本場といっても高級魚ですので、
そう簡単には食べれません。
とはいえ子フグのから揚げなどは、
スーパーで安く買えたりします。
「下関市内のマンホール」。
このフグというお魚ですが、
猛毒を持っている事が知られており、… 続きを読む
明治期に県令など要職を歴任する楫取素彦(小田村伊之助)ですが、
主である毛利敬親が死去した際、一度隠居しています。
長門の山奥に家を建て、村人に植林や開墾を指導して過ごしました。
その際に住んでいたのかこの桜楓山荘跡です。
住居があった場所を示す石碑… 続きを読む
円政寺は大内氏の祈願寺で、今の山口市円政寺町にありました。
大内氏滅亡後も毛利氏から保護され、
毛利氏が萩へ築城すると同時にこの地に移転してきました。
境内に金比羅社があるためか、入り口には鳥居があります。
この寺の住職恵運と伊藤博文の母親(林琴子)が従兄妹だということで、
伊藤(当時林利輔)はこの寺に一年半預けられていたそうです。
境内にはなにやらよくわかりませんが、竹に幕末長州の志士達が彫られています。
手作り感満載で、あまり字も上手くないのが残念です。
境内にある金比羅社の「大天狗面」。… 続きを読む
大河「花燃ゆ」で活躍中の小田村伊之助。
維新後は楫取素彦と名前を改めています。
その楫取素彦の旧宅跡に行ってみました。
「楫取素彦舊宅址」。
跡碑に足を掛けていますが、
若干1歳児ですのでお許しください。
時期は明らかではないそうですが、
ここに旧宅があった場所だそうです。
「時期が明らかではない」って、
大まかにもわからないのでしょうかね?
ここに寿と暮らしていたのか?
それとも文と暮らしていたのか?… 続きを読む