福井市には幕末史跡が豊富にありますが、
肝心の松平春嶽の墓は福井にはなく、
品川の海晏寺にあるのは周知でしょう。
とはいえ春嶽の墓が福井にあったようで、
痕跡を示す遺構が運正寺に残されています。
「運正寺」。
初代結城秀康は慶長11年(1606)に死去。
帰依する曹洞宗の… 続きを読む
福井県福井市 運正寺
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福井市には幕末史跡が豊富にありますが、
肝心の松平春嶽の墓は福井にはなく、
品川の海晏寺にあるのは周知でしょう。
とはいえ春嶽の墓が福井にあったようで、
痕跡を示す遺構が運正寺に残されています。
「運正寺」。
初代結城秀康は慶長11年(1606)に死去。
帰依する曹洞宗の… 続きを読む
膳所城の初代城主である戸田一西は、
戸田家菩提寺として円通寺を開きましたが、
次代の戸田氏鉄が尼崎藩に移封されると、
円通寺は戸田家と共に尼崎に移転します。
代わって膳所藩に入封した本多康俊は、
移転した円通寺の境内を縁心寺… 続きを読む
出羽松山城跡を訪問後、
藩主の菩提寺である心光寺へ。
心光寺は浄土宗の大本山増上寺の末寺で、
出羽松山藩酒井家の菩提寺となりました。
「心光寺」。
正面のクロマツは樹齢350とされ、
幹の空洞の2ヶ所から桜の枝が顔を出し、
毎年花を咲かせるという奇木。
「酒井子爵家御廟所… 続きを読む
山崎藩本多家の菩提寺である大雲寺は、
江戸時代初期に専誉上人が開山した寺院。
郡山新田藩より本多忠英が山崎藩に入封し、
本多家の菩提寺に定められました。
「山門」。
現在の山門は弘化2年再建のもの。
費用は千草屋平瀬家の寄進によって賄われ、… 続きを読む
真田幸村(信繁)の系譜が仙台藩で続き、
幕末の当主真田喜平太は西洋砲術を学び、
開明派の藩士であったという。
その真田喜平太の墓が西光寺にあります。
「西光寺」。
浄土宗の古刹で創建は鎌倉時代中期という。
石巻は東日本大震災… 続きを読む
徳川家康の異母弟松平定勝は、
桑名藩11万石を与えられ、
定勝系久松松平家の祖となりましたが、
寛永元年(1624)に死去して、
次男松平定行が跡を継ぎました。
2代将軍徳川秀忠は定勝の菩提を弔う為に、
定行に菩提寺の造営を命じ、
桑名領内に崇源院が建てられています。
※現在の桑名市の… 続きを読む
府内藩藩主家の親清流大給松平家は、
松平親清を初代とする系譜で、
親清は大給松平家祖松平乗元の次男。
その子松平近正が徳川家康の関東移封で、
5500石を与えられています。
近正は伏見城の戦いの際、
鳥居元忠らと共に討死しますが、… 続きを読む