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三原宿は三原城城下にあった西国街道の宿場。
街道筋が城内を貫いて続いていました。
三原市街周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが三原淑跡。
城下を挟んで西町と東町が存在しました。
「紙本着色備後三原絵図(現地案内板より)」。
黒い部分が… 続きを読む
広島県三原市 三原宿跡①
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本郷宿は西国街道の宿場町。
沼田川に沿う小さな盆地に開けた町で、
往時は200軒余りの町家が建ち並び、
旅籠や木賃宿が70軒あったとされます。
沼田川には9月から3月まで板橋が架けられ、
旅人を横断させていたようですが、
それ以外は徒渡りで川を横断したようで、
増水時は足止めされることもありました。
三原市本郷周辺。緑の線が街道筋で、… 続きを読む
長州藩は藩庁の機能を山口に移転し、
諸外国や幕府からの防衛の為、
中領八幡宮前に関門と砲台を設置。
山口と小郡間の自由な往来… 続きを読む
兵庫津は古くは大輪田泊と呼ばれ、
天然の良港として栄えた場所でした。
やがて平清盛による大修築が行われ、
福原京の造営も行われますが、
清盛の死後に平家は滅亡。
それでもその立地から発展を繰り返し、
室町時代には日明貿易の拠点、… 続きを読む
慶応4年1月11日。
岡山藩は新政府の命による西宮警備の為、
家老日置帯刀に命じて藩兵を向かわせます。
当時の西国街道は外国人居留地に接した為、
幕府は外国人とのイザコザを避ける目的で、
西国往還付替道を設置していましたが、
日置隊は… 続きを読む
海田宿は西国街道の30番目の宿場町。
広島宿より東側の1宿目だった為、
送迎客も多く賑やかであったという。
※昔の旅は今生の別れにもなりうる為、
次の宿場まで見送りする事もあった。
海田町中店周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが海田宿跡。
西側より散策。
「新町」。… 続きを読む