女隊士といえば新徴組の中沢琴が有名ですが、
奇兵隊にも女性隊士がいました。
その女性隊士というのが高橋菊で、
竹崎の研ぎ職人の父を持ち、
縫針を売って生計を立てていましたが、
父との死別後は稼ぎの良い力仕事に従事して、
台場の工事等にも参加しています。
大柄で性格も男まさりであった菊は、… 続きを読む
「諸隊」タグアーカイブ
宮城彦助 教法寺事件の犠牲者
宮城彦助は長州藩大組士。
和歌を得意とする文人として知られて、
文久3年に中山忠光が長州に赴いたため、
宮城はこの公卿の随従を命じられます。
文人の才を買われたのでしょう。
しかしこの中山忠光。
ただの公卿ではありませんでした。
若く狂信的な攘夷論者で、
雅な公卿ではなかったのです。
気に入らないからと失踪するわ。
真木和泉救出に久留米… 続きを読む
下関市吉田 法専寺/首斬り六地蔵
慶応元年。長州内訌戦に勝利した奇兵隊は、
来たるべき幕府との戦いに備えて、
下関への転陣命令が出されます。
当初、長府に転陣する予定でしたが、
「差し支える事」があり、
吉田郷に転陣する事となりました。
この「差し支える事」とは、
「馬関開港論」によって、
長州藩と長府藩との間に溝ができた時期で、
長府に駐屯できる状態ではなかったという。
後に開港論はうやむやになり、… 続きを読む
下関市丸山町 つかずの灯篭
高杉晋作陶像のある日和山公園には、
つかずの灯篭という石灯篭があります。
「つかずの灯篭」。
壇之浦に灯台として設置されていたもので、
長府報国隊が桜山神魂場に倣い、
貴船町の旭山に招魂場を造ることになり、
そこに灯篭を設置する事となったので、
この灯篭を運ぶ事になりました。
隊士達は酒を飲みながら運んでいたので、
灯篭を乗せた大八車を、… 続きを読む
下関市竹崎町 白石正一郎旧宅跡
竹崎の商人白石正一郎の小倉屋は、
酒、たばこ、米、お茶の卸や、
質屋、造酒屋も経営した豪商とされています。
しかし実際は長州藩の商いは無く、
孫藩の清末藩の御用商人だったようで、
豪商というほどでもありませんでした。
最も儲かる北前船交易には参加する事が出来ず、… 続きを読む
下関市前田 前田台場跡
■2020/02/01 写真差し替え及び記事修正。
「長州藩下関前田台場跡」。
前田台場は攘夷戦に備えて築かれた台場で、
文久3年5月に海峡を渡る外国船を砲撃し、
6月に米仏海軍に報復攻撃を受けています。
ベアトによる前田台場占領時の写真。
6月1日の米艦… 続きを読む