奥の院墓地にある長府藩毛利家の墓所。
毛利輝元は関ケ原の戦いの敗戦後、
中国地方8ヶ国120万5000石から、
防長2ヶ国に減封されましたが、
分家を興していた毛利秀元も、
その所領17万石を没収されました。
輝元は自領内の東の守りとして、
吉川広家に岩国領3万石を与え、… 続きを読む
「長府藩」タグアーカイブ
下関市秋根本町 乃美大方墓所
新下関駅北東側にある普賢寺の納骨堂前に、
乃美大方の墓があります。
毛利元就の継室(又は側室)だった女性で、
元就の正室であった妙玖の死後に嫁ぎ、
穂井田元清(長府毛利家の祖)、
天野元政… 続きを読む
広島県廿日市市 洞雲寺
洞雲寺は廿日市市にある曹洞宗寺院。
厳島神社神主藤原教親の開基で、
長享元年(1487)に金岡用兼禅師が創建し、
その師為宗仲心禅師を開山としています。
「洞雲寺」。
本尊は… 続きを読む
下関市長府 日原素平宅跡
坂本龍馬は下関での滞在中、
本陣伊藤家等に滞在していましたが、
ある一時期の間身を隠す為に、
長府藩士日原素平宅に滞在しています。
※正確な滞在時期は不明ですが、
慶応元~3年の間のどこからしい。
「日原素平宅跡」。
西国街道沿いにあった日原素平宅は、
現在2階建のマンションとなっています。
この日原素平という人物について、
資料が見つかりませんでしたので、
どのような人物かわかりませんが、… 続きを読む
下関市岬之町 三百目橋跡
下関市岬之町と観音崎町の間に、
北へと延びる通りがあります。
この通りは通称三百目通りと呼ばれ、
江戸期は谷川が流れていたという。
現在は地下河川となっているようで、
川の上に道路が出来ていますが、
江戸期はこの道が川でした。
この川の為に東西の行き来が不便だった為、
油屋仁左衛という商人が橋の建設を願い、
長府藩に… 続きを読む
下関市彦島 弟子待砲台跡
海軍山と呼ばれていた彦島南公園。
その公園から海岸へ下りると、
2つの遺跡が残っています。
「水雷発射基地突堤」。
日露戦争の際に露軍バルチック艦隊が、
関門海峡を通過した際に迎え撃つ為、
建造された水雷発射基地の突堤。… 続きを読む
下関市長府 功山寺/小田南陔墓所
功山寺境内の旧長門尊攘堂への石段脇に、
儒学者小田南陔らの墓があります。
「済川先生墓(右)」「南陔先生墓(右2)」、
「嶽陽先生墓(左2)」、
「嶺雲院清菴常涼居士(左)」。
小田亨叔(済川)の墓、小田南陔(圭)の墓、… 続きを読む
