薩摩街道の難所である腹切坂。
腹切という不穏な名称のこの坂は、
人を殺して諸国を逃げ回っていた武士が、
所詮逃げられぬと悟って腹を切ったとか、
平家の落ち武者が逃亡を断念して、
腹を切った場所であるとか、
大事な書状を持った飛脚が坂を上り、
坂の中間ですれ違った農夫に、
坂はあとどれくらいかと尋ねた際、
「あなたがこれまで歩いて来た程」と聞き、… 続きを読む
熊本県玉名郡 腹切坂
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薩摩街道の難所である腹切坂。
腹切という不穏な名称のこの坂は、
人を殺して諸国を逃げ回っていた武士が、
所詮逃げられぬと悟って腹を切ったとか、
平家の落ち武者が逃亡を断念して、
腹を切った場所であるとか、
大事な書状を持った飛脚が坂を上り、
坂の中間ですれ違った農夫に、
坂はあとどれくらいかと尋ねた際、
「あなたがこれまで歩いて来た程」と聞き、… 続きを読む
白坂は薩摩街道の難所のひとつで、
往時の景観が今に保たれている場所。
天正15年(1587)の肥後国衆一揆では、
日輪寺山に陣を構えた佐々成政へ、
立花宗茂らが兵糧を届けていますが、
その帰路にこの白坂で国人勢に襲われ、
戦闘となってこれを撃退しました。… 続きを読む
板堂峠から約650m萩側に下ると、
「吉田松陰先生東送之碑」が設置されています。
「吉田松陰先生東送之碑」。
昭和58年に㈶松風会により建立されたもので、
その書は内閣総理大臣岸信介によるもの。
松陰は安政の大獄で江戸… 続きを読む
板堂峠は周防国と長門国の境にある峠で、
萩往還中最高度の場所でした。
周辺はかつて銀が産出されていた為、
採銀作業の安全を祈願した御堂があり、
この御堂が板葺であったことから、
板堂峠と呼ばれるようになったという。
「… 続きを読む
原田宿より田代宿へ向かう際、
最初の難所となっていた三国坂。
筑前、筑後、肥前の三国の境で、
争いの絶えなかった場所でした。
この為に当事者間で協議が行われ、
三国の境には国境石を建立。
長崎街道をゆく人々が、… 続きを読む
平戸往還の最大の難所ともされる峰坂。
「峰坂」。
急勾配が延々と続く坂道で、
現在は舗装されていますが、
往時はどうだったのでしょう?
訪問時は炎天下で倒れそうになりました。
長崎市は坂の町として勇名ですが、
佐世保市も劣らず坂の町です。
この峰坂以外も殆どが急な坂で、
ここで暮らす人々の足腰は、
いったいどうなっているのでしょうか?
一説には自転車… 続きを読む
奥州街道の下野国と陸奥国の国境に、
それぞれ2社の境の明神が並立しています。
「下野国/陸奥国国境」。
国道294号線の栃木県と福島県の県境。
栃木県側からの撮影。
街道はこれより奥州に入ります。… 続きを読む