慶応3年に高杉晋作は死去しますが、
その遺骸は遺言により吉田に葬られます。
危篤に際して妾のおうのは遠ざけられ、
臨終や葬儀にも立ち会ってはおらず、
路頭に迷っていたとされていますが、
これを知った山形有朋や伊藤博文は、
おうのを出家させて墓守となる様指示。
山縣の草庵… 続きを読む
「高杉晋作」タグアーカイブ
下関市吉田 東行庵/高杉家祖先歴代墓
高杉家の菩提寺は萩の亨徳寺で、
明治期にその累代墓が建立されましたが、
平成4年に東行庵に移されました。
「高杉家祖先歴代墓」。
高杉家のルーツは安芸武田家とされ、
武田元繁が祖とされますが、
これについては諸説あるようです。
元繁の子とされる… 続きを読む
滋賀県大津市 衣川宿跡
衣川宿は西近江路の宿場町。
起点の大津宿から出て最初宿場でした。
大津市堅田及び衣川周辺。緑の線が西近江路で、
青くぼかした辺りが衣川宿だった辺り。
「衣川宿跡」。
衣川宿跡は県道558号沿い。
主要道路の為か面影は殆ど無し。
地名的には道路西側が衣川で東側が堅田。
衣川となっていますがそのような川はなく、
北を流れる天神川… 続きを読む
滋賀県大津市 唐崎の松
唐崎の松は唐崎神社境内にある名松で、
松尾芭蕉の句[唐崎の松は 花より朧にて
大宮人の船 待ちかねる]や、
歌川広重の絵[唐崎夜雨]で知られます。
「唐崎神社」。… 続きを読む
高杉晋作の甲子残稿
[甲子残稿]は元治元年8月から、
11月までの間に高杉晋作が詠んだ詩集。
晋作は脱藩の罪により謹慎していましたが、
下関戦争の勃発によって許され、
藩命で山口に呼び出されました。
それから四国艦隊との和平交渉から脱藩… 続きを読む
高杉晋作の観光録
高杉晋作は文久3年に交友録として、
[観光録]を書いています。
交友のあった志士らが記載されており、
意外な繋がりを知る事が出来て、
羅列ながら色々と想像すると面白い。
[観光録]
久米藩、田中紋次郎、今井彦三郎、
肥前、中牟田倉之助、能萬介次郎、
同、草場叉三、森傳二郎、
濱松、名倉予何人、
大坂住伊藤軍作、水戸浪大橋熊次、高田… 続きを読む
広島県安芸高田市 高杉山城跡
長州藩大組高杉家(高杉晋作)のルーツとして、
三次市の高杉城が知られていますが、
安芸高田市に高杉山城なる城跡があり、
こちらも高杉家のルーツとされています。
城跡には高杉家が碑を建立しており、
どちらがルーツなのかはっきりしません。
吉田町西浦周辺。
赤丸の場所に高杉家先祖の墓があります。
城跡とはいえ小山があるだけで遺構はなく、
更にその小山も小さなものなので、
小規模な砦… 続きを読む