久坂玄瑞」タグアーカイブ

今更ながら涙袖帖③

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(7)文久2年5月1日(京都より)
三月廿八日四月四日の手帋慥に受取申候
我等も此せつは京都御屋敷の後に住居いたし
佐世楢崎兄弟寺島中谷眞五郎なと同居に候
杉蔵和作彌ニなと追々来り申候面白く楽しき事は
此せつに候併し去月十三日松洞割腹いたし候事は
甚以残念之次第に候松洞方へ手紙出度候得共… 続きを読む

今更ながら涙袖帖②

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(4)万永元年11月25日(江戸より)
みなみなさまおん障りなふおん事なされ候半と
そんし参らせ候さては先師おん書物着物等
利助見出し候杉蔵かへり候節さしおくり可被下候
蒲團は當分かり申候彌二郎便にまいり候
袷壹枚早速垢衣にきかへ申候
杉蔵紋付壹枚もち参候よしに御座候… 続きを読む

京都府京都市 霊山護國神社②

つづき。
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梅田雲浜の碑よりさらに上へ。
長州藩勤皇志士らの墓域に入ります。

長州勤王烈士墓域」。
禁門の変等で殉難した長州藩士らの墓碑。

長州勤王烈士墓域より石段を挟んだ先に、
小さな社殿があります。

山口藩招魂社(右)」、
霊山招魂社続きを読む

光明寺党の最初の宿泊地はどこ??

白石正一郎日記には文久3年4月27日昼。
久坂玄瑞ら30人余の志士がやって来て、
竹崎長泉寺に宿泊したいというので、
取り計らったと記されてます。
志士達は5月4日まで長泉寺に宿泊し、
その後に細江光明寺へ転陣しました。
この連中が光明寺党です。… 続きを読む

「少年行」南条範夫

小学校5~6年の頃だったか・・・。
当時は聖闘士聖矢が流行っていて、
少年ジャンプアニメを視ていたのですが、
ある日書店に行くと、
見慣れぬ本が売られていました。
聖闘士聖矢の単行本とは明らかに違うのに、
表紙は聖闘士聖矢に登場する黄金聖闘士が、
車田正美ではない絵で描かれていました。
タイトルは忘れましたが、
聖闘士聖矢千夜一夜」みたいな感じ?… 続きを読む

山口県山口市 朝日山招魂社

朝日山招魂社山口市秋穂にある招魂社で、
慶応元年に八幡隊によって創設されました。

ここは山口県内に数ある招魂場の中でも、
特にビッグネームの墓碑があります。
久坂玄瑞入江九一
吉田稔麿寺島忠三郎などなど。
基本的にそれぞれの招魂場は、… 続きを読む