(7)文久2年5月1日(京都より)
三月廿八日四月四日の手帋慥に受取申候
我等も此せつは京都御屋敷の後に住居いたし
佐世楢崎兄弟寺島中谷眞五郎なと同居に候
杉蔵和作彌ニなと追々来り申候面白く楽しき事は
此せつに候併し去月十三日松洞割腹いたし候事は
甚以残念之次第に候松洞方へ手紙出度候得共… 続きを読む
「久坂玄瑞」タグアーカイブ
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今更ながら涙袖帖②
今更ながら涙袖帖①
京都府京都市 霊山護國神社②
光明寺党の最初の宿泊地はどこ??
白石正一郎日記には文久3年4月27日昼。
久坂玄瑞ら30人余の志士がやって来て、
竹崎の長泉寺に宿泊したいというので、
取り計らったと記されてます。
志士達は5月4日まで長泉寺に宿泊し、
その後に細江の光明寺へ転陣しました。
この連中が光明寺党です。… 続きを読む
「少年行」南条範夫
小学校5~6年の頃だったか・・・。
当時は聖闘士聖矢が流行っていて、
少年ジャンプやアニメを視ていたのですが、
ある日書店に行くと、
見慣れぬ本が売られていました。
聖闘士聖矢の単行本とは明らかに違うのに、
表紙は聖闘士聖矢に登場する黄金聖闘士が、
車田正美ではない絵で描かれていました。
タイトルは忘れましたが、
「聖闘士聖矢千夜一夜」みたいな感じ?… 続きを読む
山口県山口市 朝日山招魂社
朝日山招魂社は山口市秋穂にある招魂社で、
慶応元年に八幡隊によって創設されました。
ここは山口県内に数ある招魂場の中でも、
特にビッグネームの墓碑があります。
久坂玄瑞や入江九一、
吉田稔麿、寺島忠三郎などなど。
基本的にそれぞれの招魂場は、… 続きを読む