法眼寺は松江市外中原町の曹洞宗寺院。
元々は松江城の建つ亀田山に所在し、
松江城の築城に伴い大橋川畔に移転。
その後の大火で伽羅を焼失し、
現在地に再移転しています。
この法眼寺の山門手前には、
大橋茂右衛門家の墓所があります。
「大橋茂右衛門家墓」。… 続きを読む
島根県松江市 法眼寺
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法眼寺は松江市外中原町の曹洞宗寺院。
元々は松江城の建つ亀田山に所在し、
松江城の築城に伴い大橋川畔に移転。
その後の大火で伽羅を焼失し、
現在地に再移転しています。
この法眼寺の山門手前には、
大橋茂右衛門家の墓所があります。
「大橋茂右衛門家墓」。… 続きを読む
少林寺は中区国富にある臨済宗の寺院。
赤穂藩2代藩主池田輝興が、
※輝興は池田輝政の六男。
赤穂に菩提寺の盛岩寺を建立しますが、
輝興は乱心したとして改易されて、
岡山藩池田宗家… 続きを読む
三浦長門守家は紀州藩御附家老のひとつ。
初代藩主徳川頼宣の実母於万の方が、
三浦家の出身であった為に、
藩主外戚として重きを成しています。
三浦長門守家初代当主三浦為春は、
初代藩主徳川頼宣の傅役となり、… 続きを読む
了法寺は三浦長門守初代当主三浦為春が、
所領の上野山村に建立した寺院。
後に坂田にあった浄土寺跡に移転し、
日蓮宗から天台宗に変わったようです。
三浦長門守家は紀州藩の御附家老で、
初代藩主徳川頼宣の実母… 続きを読む
長英寺の由緒は明確ではありませんが、
初めは御所寺と称していたという。
小浜藩初代酒井忠勝が死去した後、
家老三浦帯刀好正により、
忠勝の法名から長栄寺と改められて、
その供養塔が建てられました。
「参道」。
苔が非常に美しい参道。
石段が隠れるほど苔生しています。… 続きを読む
妙楽寺は博多区御供所町にある臨済宗寺院。
正和5年(1316)に月堂宗規により開山し、
当時は北浜にあったようですが、
天正14年(1586)に戦火で焼失して、
現在地に再建されています。
「本堂」。
境内にはういろう伝来之地碑があり、
元の礼部員外郎陳延祐… 続きを読む
福岡藩の尊攘派家老加藤司書は、
有事の際の藩主避難所の建設を提案。
福岡藩主黒田長溥もこれを承諾して、
犬鳴御別館の建設が開始されます。
しかしこれは尊攘派が実権を握る為、
長溥を幽閉する施設であるとして、
藩内佐幕派が注進した為に長溥は激怒。
乙丑の獄が発生して尊攘派は捕縛され、
首領格の司書や月形洗蔵を始め、
関係者140名以上が捕縛された末、
司書は… 続きを読む