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松浦家の21代当主であった松浦義は、
室町幕府6代将軍足利利教により、
肥前守に任じられていましたが、
義教は嘉吉の乱で赤松満祐に殺されます。
義は義教の追悼の為に出家して融義と称し、
勝尾岳中腹に… 続きを読む
長崎県平戸市 普門寺/松浦熈墓所
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松浦家の21代当主であった松浦義は、
室町幕府6代将軍足利利教により、
肥前守に任じられていましたが、
義教は嘉吉の乱で赤松満祐に殺されます。
義は義教の追悼の為に出家して融義と称し、
勝尾岳中腹に… 続きを読む
仕事で年に数度上五島へ行きますが、
上五島を含む五島列島は全て福江藩領か、
その支藩格の富江領かと思っていましたが、
平戸藩領もあったようです。
新上五島町浜ノ浦周辺(続代官所跡の場所)
中通島西側の道土井、続、… 続きを読む
平戸往還は平戸藩主松浦家の参勤交代や、
長崎警備の際に使用された街道。
佐世保市江迎町周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが江迎宿跡。
平戸往還は平戸城の対岸日の浦から、
江迎、佐々、早岐を経て、
彼杵… 続きを読む
雄香寺は、平戸藩主松浦家の菩提寺で、
境内に5代藩主松浦棟以降の墓があります。
平戸市街北部周辺(雄香寺の場所)
「開山堂」。
朱色が美しい別名「赤堂」と呼ばれる建物。
堂内には5代藩主松浦棟の墓があります。
「松浦家墓所」。… 続きを読む
平戸城は平戸藩松浦家の居城で、
山鹿流軍学に基づいて建築された平山城。
元々慶長期に松浦鎮信が築城した城でしたが、
なぜか完成直前に自焼させてしまいました。
その後、江戸中期まで藩庁は陣屋でしたが、
元禄16年に幕府に築城を願い出て許され、
山鹿素行の実子山鹿義昌の築城指導で、
平戸城は再建されています。
以後は平戸藩の藩庁となりますが、… 続きを読む