佐賀藩家老諫早一学は文久3年、
領内の東望山、牧島、蠣道に砲台を築き、
それぞれが慶応2年に完成しています。
東望山は八郎川河口西側の丘陵で、
現在は東望山公園として整備されており、
山頂にグランドがある他、… 続きを読む
長崎県長崎市 東望山砲台跡
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佐賀藩家老諫早一学は文久3年、
領内の東望山、牧島、蠣道に砲台を築き、
それぞれが慶応2年に完成しています。
東望山は八郎川河口西側の丘陵で、
現在は東望山公園として整備されており、
山頂にグランドがある他、… 続きを読む
矢上宿は長崎街道と島原街道の追分にあり、
佐賀藩家老諌早家の知行地で、
幕府領との境界に接していました。
※長崎代官所支配地。
長崎市八神町周辺。緑の線が長崎街道で、
青い線が島原街道北目道。
青でぼかした辺りが矢上宿跡。… 続きを読む
永昌宿は長崎街道と多良街道の追分で、
佐賀藩の代官所が置かれていました。
JR諫早駅周辺。緑の線が長崎街道で、
青い線は多良街道。
青でぼかした辺りが宿場跡です。
「岩茶屋跡」。
街道沿いにあった茶屋の跡で、
大村から永昌に入る途中にあり、… 続きを読む
轟木宿は長崎街道の佐賀藩領東端の宿場町。
対馬藩領と轟木川を境にして分かれており、
140軒程で宿屋や茶屋が多かったという。
鳥栖市轟木町周辺。緑の線が長崎街道。
青でぼかした辺りが轟木宿跡。
東側より散策。
「境橋」。
轟木川に架かる橋で渡ると佐賀藩領。
現在はRC製… 続きを読む
高傳寺には龍造寺家、鍋島家墓所の他、
佐賀七賢人のひとり副島種臣と、
その兄の枝吉神陽の墓があります。
「枝吉家墓所」。
枝吉家は代々槍術師範を務める家柄で、
足軽頭の身分であったとされますが、
2人の父枝吉南濠… 続きを読む