凌霜隊は会津戦争後に猪苗代で謹慎。
後に郡上藩預かりとなって、
故郷の郡上へ戻ってきました。
郡上藩としては元藩士ではありますが、
この処置にしくじるわけにはいきません。
とはいえ多くの親族もいることですし、
死罪とする事は躊躇され、
彼らを投獄することに決定。
赤谷揚屋と呼ばれる牢房に入獄されると、
環境か悪く病人が多発したという。… 続きを読む
岐阜県郡上市 慈恩護国寺
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凌霜隊は会津戦争後に猪苗代で謹慎。
後に郡上藩預かりとなって、
故郷の郡上へ戻ってきました。
郡上藩としては元藩士ではありますが、
この処置にしくじるわけにはいきません。
とはいえ多くの親族もいることですし、
死罪とする事は躊躇され、
彼らを投獄することに決定。
赤谷揚屋と呼ばれる牢房に入獄されると、
環境か悪く病人が多発したという。… 続きを読む
譜代大名の墓所は江戸にあることが多い。
これは転封が多いせいかもしれません。
ですが勝山藩小笠原家の墓所は、
勝山藩領にある開善寺にあり、
初代より歴代藩主の墓が並んでいます。
「開善寺」。
開善寺は勝山藩主小笠原家の菩提寺で、
小笠原貞信が高須藩から移ったことに伴い、… 続きを読む
芳徳寺は柳生家の菩提寺で、
初代藩主柳生宗矩によって開基され、
沢庵宗彭の開山により創建しました。
元々は柳生城のあった場所で、
宗矩が父柳生石舟斎の菩提を弔う為に、
跡地に建立したようです。
「芳徳寺本堂」。
本尊の… 続きを読む
宇和島藩伊達家の菩提寺のひとつ大隆寺は、
伊達家以前の宇和島藩主富田信高により、
金剛山正眼院として建立されたもの。
信高は豊臣秀吉の側近富田一白の嫡子で、
父の死後に跡を継ぎ安濃津城主となります。
関ケ原の戦いでは東軍… 続きを読む
龍華山等覚寺は宇和島藩伊達家の菩提寺で、
初代から4代藩主および、
6代以降の偶数代の藩主の墓所があります。
「等覚寺山門」。
等覚寺は初代藩主伊達秀宗が、
母の菩提を弔うために建立した寺で、
建立当時は龍泉寺という寺名でした。
後に秀宗が死去して龍泉寺に葬られたため、
戒名の等覚寺殿拾遺義山常信大居士… 続きを読む
養賢寺は佐伯市にある臨済宗寺院。
佐伯藩初代藩主毛利高政が菩提寺建立の為、
京都の妙心寺から大観慈光禅師を招き、
慶長10年(1605)に創建されています。
「養賢寺」。
境内には白壁の本堂をはじめとして、… 続きを読む
井上源三郎は新選組六番隊組長。
千人同心世話役井上藤左衛門の三男で、
天然理心流近藤周助の試衛館に入門し、
主に日野宿の佐藤彦五郎の設けた稽古場で、
日夜稽古に励んでいたとされます。
近藤勇らと共に浪士組に参加し、… 続きを読む