圓通寺は鎌倉時代初期の創建で、
多久家初代多久太郎宗直が開基。
寺領1000石を有して末寺140を数えましたが、
その後に衰微していたようです。
慶長2年(1597)に龍造寺長信が再興し、
その庇護を受けて再度隆盛しており、
多久家の菩提寺となりました。
※長信の子龍造寺安順が多久姓を名乗り、
佐賀藩御親類同格… 続きを読む
佐賀県多久市 圓通寺/多久家墓所
コメントを残す

圓通寺は鎌倉時代初期の創建で、
多久家初代多久太郎宗直が開基。
寺領1000石を有して末寺140を数えましたが、
その後に衰微していたようです。
慶長2年(1597)に龍造寺長信が再興し、
その庇護を受けて再度隆盛しており、
多久家の菩提寺となりました。
※長信の子龍造寺安順が多久姓を名乗り、
佐賀藩御親類同格… 続きを読む
医光寺の前身は天台宗寺院の崇観寺で、
南北朝時代の創建とされており、
元々の医光寺はその塔頭であったという。
崇観寺は益田家に庇護されていましたが、
戦国時代の戦火で荒廃してしまい、
後に益田家17代益田宗兼が医光寺を再建。
崇観寺の継承寺院にしたようですが、… 続きを読む
少林寺は中区国富にある臨済宗の寺院。
赤穂藩2代藩主池田輝興が、
※輝興は池田輝政の六男。
赤穂に菩提寺の盛岩寺を建立しますが、
輝興は乱心したとして改易されて、
岡山藩池田宗家… 続きを読む
常高寺は京極高次の正室常高院が、
小浜出身の僧槐堂周虎を開山とし、
創建した臨済宗妙心寺派の寺院。
「本堂」。
常高寺は小浜藩京極家により庇護され、
京極家が小浜から離れた後も、
その庇護は続けられたという。… 続きを読む
天授庵にある梁川星巌と梁川紅蘭の墓所。
星巌は美濃国曽根村の郷士稲津家の子で、
山本北山の奚疑塾で儒学と詩文を学び、
江戸に遊学して市河寛斎… 続きを読む
天授庵にある横井小楠の墓所。
小楠は熊本藩士横井時直の次男に生まれ、
藩校時習館に学びました。
江戸に遊学して全国の諸士と交わりますが、
他藩士と喧嘩した事を咎められ、
帰国を命じられ逼塞処分となっており、
この間に朱子学を研究。
自宅で私塾小楠堂を開き、… 続きを読む
天授庵は南禅寺の塔頭で、
南禅寺15世虎関師錬によって、
開山無関普門の塔所として開山されました。
南禅寺は火災や戦火で何度も失われ、
天授庵も喪失しています。
後に細川藤孝によって再興され、
細川家の菩提寺となりました。
「通用門… 続きを読む