慶田寺は15世紀の創建とされ、
芝村藩織田家菩提寺となった曹洞宗の寺院。
「山門」。
山門は芝村陣屋南門を移築したもの。
正面は水田となっていますが、
それが堀の様な感じになっており、
参道はその水田を迂回しています。
「本堂」。… 続きを読む
奈良県桜井市 慶田寺/芝村藩織田家墓所
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慶田寺は15世紀の創建とされ、
芝村藩織田家菩提寺となった曹洞宗の寺院。
「山門」。
山門は芝村陣屋南門を移築したもの。
正面は水田となっていますが、
それが堀の様な感じになっており、
参道はその水田を迂回しています。
「本堂」。… 続きを読む
専行院の正確な由緒は不明ですが、
室町時代末期の開山であるという。
柳本に織田有楽斎の五男織田尚長が入封し、
柳本藩織田家の菩提寺となっています。
「本堂」。
毎年7月第二日曜日に藩主祭が催され、
東京から織田家当主を招き、
報恩感謝の法要が行われているという。… 続きを読む
若くから羽柴秀吉に仕えた平野長泰は、
賤ヶ岳の戦いで功名を挙げ、
[賤ヶ岳の七本槍]と称えらました。
この功績で3000石の知行を与えられ、
その後の小牧長久手の戦いでも奮闘し、
5000石に加増されています。
その後は目立った功績は挙げていませんが、
関ケ原の戦いで東軍に属して所領を安堵。… 続きを読む
永慶寺は郡山藩柳沢家の藩祖柳沢吉保が、
甲府に建立した柳沢家の菩提寺で、
次代の柳沢吉里が郡山藩に移封されると、
同じく郡山に移転しました。
「山門」。
山門は… 続きを読む
松平定良は淀藩当時の松平定綱の次男で、
定綱が大垣藩を経て桑名藩に移った後、
その死去に伴い桑名藩藩主となります。
定良は聡明で信望も厚かったようですが、
生来体が弱くて病気がちだった為、
度々有馬温泉に療養に出かけたという。
そして湯治からの帰路の… 続きを読む
徳川家康の異父弟松平定勝の死後、
2代将軍徳川秀忠の命によって、
定勝の次男松平定行が崇源寺を建立し、
※寺名の由来は定勝の法号崇源院殿による。
定勝の遺骸を埋葬して菩提寺とします。
後に定行は4万石加増で伊予松山藩へ移り、
桑名藩には定行の弟… 続きを読む
常安寺は鳥羽藩初代藩主家の九鬼家、
最後の藩主家稲垣家の墓所。
はじめ大福寺という真言宗の寺でしたが、
九鬼嘉隆によって曹洞宗に改められました。
しかし嘉隆は関ケ原の戦い… 続きを読む