山陽小野田市に青木周蔵誕生地があります。
青木周蔵は蘭学医青木研蔵の婿養子となり、
維新後は外務省に入って外交に尽力し、
条約改正に成功した外務大臣ですが、
エリザベートとのロマンスの方が知られます。
青木研蔵の娘テル… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
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広島県三次市 高杉城跡
司馬馬遼太郎は世に棲む日日において、
「高杉晋作のルーツは、
備後国三谿郡の「高杉城」である」
としています。
事実、高杉家が藩に提出している文書も、
初代高杉小四郎春時の生国を、
備後国三谿郡高杉邑としており、
父は武田某となっておます。
これとは別に「高杉城」の城主は祝… 続きを読む
山口県山口市 洞春寺/井上馨墓所
維新を生き抜いた志士達は政府に出仕し、
殆どが東京に在住していた為、
その墓所は東京という例が多い。
長州藩出身者は地元に墓が無い場合が多く、
木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、山田顕義、
野村靖、品川弥二郎、桂太郎、山尾庸三、… 続きを読む
幕末の暗殺事件が長州主導だって??
長州藩主と英国艦隊提督の会見
慶応2年11月。
木戸貫冶(桂小五郎)は鹿児島に向かう途中、
長崎に立ち寄っています。
英国東洋艦隊もたまたま長崎に寄港しており、
木戸は司令官のジョージ・キング提督と会見。
会見の際にキング提督は下関への寄港と、
長州藩主への拝謁を強く求めてきました。
木戸は鹿児島に行くので即答できないと答え、
鹿児島からの帰路の下関で藩に手紙を送り、
拝謁の可否を考えてくれるように促します。
藩政府は英国との繋がりを作る好機と考え、
藩主毛利敬親… 続きを読む
山口県長門市 先大津宰判勘場跡
長州藩は直轄地を宰判という行政区に分け、
代官を置いて行政にあたらせていました。
宰判には勘場と呼ばれた役所が設けられ、
租税徴収、治安維持、裁判等が、
行われています。
「長門市立菱海中学校」。
先大津宰判勘場があった場所は、
現在は長門市立菱海中学校になっています。
「… 続きを読む
山口県長門市 周布政之助墓所
周布政之助の墓といえば、
山口市湯田の[麻田公輔墓]が知られます。
他に萩や東京にも墓があるようですが、
どうやら長門市にもあるらしい。
国道191号線バイパス添いにある石碑。
「贈正四位竹内正兵衛先生出生地
贈正四位周布政之助先生故宅 墓道」。… 続きを読む