長州藩」タグアーカイブ

長州毛利家と会津松平家は縁者であった

犬猿の仲とされる会津藩長州藩ですが、
別に長く因縁があるわけではなく、
八月十八日の政変禁門の変など、
幕末期の一連の事件により、
遺恨を残しただけのようです。
長州藩は始めから反幕だった訳ではなく、
むしろ幕府に忠誠を誓っていたり、
徳川家続きを読む

山口県萩市 明倫学舎

水戸藩の藩校弘道館
岡山藩の藩校閑谷黌と並び、
三大学府と称された長州藩の藩校明倫館
出身者も吉田松陰桂小五郎高杉晋作等、
蒼々たる顔触れです。
維新後は明倫小学校続きを読む

山口県美祢市 楢崎頼三屋敷跡

飯盛山で自刃した白虎隊の生き残り飯沼貞吉
燃える城下を落城と勘違いして、
少年達は次々と自刃し、
貞吉も咽喉に脇差を突き立てたが死ねず、
それを会津藩士の妻が見つけて介抱し、
貞吉は一命を取り留めます。
後に貞吉は電信技士となって各地に赴任し、
電信電話の発展に貢献しました。

この飯沼貞吉が会津戦争終結後、
敵であった… 続きを読む

山口県山口市 玄済寺/福原広俊墓所

玄済寺にある福原広俊の墓。
吉敷毛利家の記事と分けました。


家老 十三代福原広俊公」。
福原家13代当主福原広俊の墓。
吉敷毛利家が知行地替えで吉敷に入る前は、
吉敷周辺は福原家続きを読む

幕末会津史について

僕の先祖はよくわかりません。
祖父祖母が元気で生きている間に、
色々と聞いていれば良かったと悔やまれます。
なんでも父方は柳河藩の出のようで、
明治以降は長崎で材木屋をやっていたとか。
末子の祖父は三菱の造船所に入社した為、
下関に住むようになったのですが、
宗家は原爆によって全滅してしまったとか。
父はあまり祖先に興味がなかったらしく、
祖父の話を真剣に聞いていなかったようで、
そんな事を言ってたなぁ・・程度です。

母方は寺本生死之介の末裔とのことですが、
家系図があるわけでもありませんし、
実在が疑問視されている人物ですので、… 続きを読む

山口県防府市 富海宿と船蔵

富海は長州藩領の小さな漁村でしたが、
船便での上方の玄関となっており、
また西国街道宿場町となって栄え、
多くの人々が行き交いました。


青でぼかした辺りが富海宿跡
緑の線が西国街道の街道筋。
ここが上方への玄関と云われる所以は、
富海が飛船と呼ばれる客船の拠点で、
ここからの海路が一番早かったから。
長州志士はここから上方を目指し、
他国からの志士もここに上陸しています。… 続きを読む