鹿児島県南さつま市 島津尚久墓所

竹田神社の南側に島津尚久の墓があります。
尚久は島津忠良の三男に生まれ、
7歳で初陣を飾った後には、
数々の戦に参加して手柄を立てたとされ、
薩摩の海賊衆(倭寇)を束ねていたという。


島津尚久墓」。
宮之城島津家初代当主島津尚久の墓。
兄の… 続きを読む

鹿児島県南さつま市 島津忠良墓所

島津中興の祖とされる島津忠良
宗家14代島津忠兼(勝久)に国政を委任され、
長子の島津貴久を忠兼の養嫡子に譲り、
後に貴久と共に薩摩を統一。
その後も多くの仁政を敷いて国を富ませ、
島津家発展に大きく貢献させました。


常潤院跡」。
隠居後の忠良は加世田に移り住み、
この地にあった… 続きを読む

鹿児島県南さつま市 島津忠国墓所

島津宗家9代当主島津忠国の墓が、
鹿児島県南さつま市加世田地区にあります。
忠国は次男島津立久に追放され、
晩年は加世田に移住していたようですが、
琉球へ渡ろうと坊津に赴きますが、
渡航前に68歳で死去したという。


六角堂公園」。
忠国の遺骸は加世田に送られ、… 続きを読む

七卿落ち

文久3年8月18日
八月十八日の政変が発生。
大和行幸延期、急進派公家15人の禁足及び、
長州藩堺町門の警備の任から解き、
京都からの退去が勧告されます。
失脚した公家15人のうち、
三条実美七人の公卿(七卿)は、
※七卿は三条実美の他に、続きを読む

福岡県北九州市 須佐神社/狸山古戦場跡

慶応2年8月1日。
長州藩との戦いで不利となった小倉藩は、
小倉城を自焼させ香春に撤退しました。
家老島村志津摩は藩兵を再編し、
金辺峠狸山に防衛拠点を置いて、
勢いに乗る長州藩兵を迎撃。
金辺峠は総司令官である島村が守り、
狸山には同じく家老の小宮民部続きを読む

福岡県築上郡 天仲寺跡/三木与右衛門墓所

中津藩の鉄砲掛であった三木与右衛門は、
明治維新の前後に私塾三木塾を開き、
明治5年まで数学を教えていたという。

当時の私塾は漢学儒学国学等が殆どで、
数学を教える塾は非常に稀でした。
その三木与右衛門の墓が… 続きを読む

福岡県築上郡 天仲寺跡/小笠原家墓所

天仲寺天仲寺山にあった禅寺で、
現在は廃寺となって建物は解体され、
跡地は天仲寺山公園となっています。


天仲寺山 案内図」。
天仲寺山は標高28mの小山で、
元々は広津山と呼ばれていました。
中津藩初代藩主小笠原長次は、… 続きを読む