【幕末維新の話】」カテゴリーアーカイブ

四国連合艦隊の彦島租借要求

高杉晋作下関戦争の休戦交渉において、
彦島租借要求を拒否した伝説があります。
しかしながらこの話は、
英国の外交記録やアーネスト・サトウの日記、
回想録等には全く記載が無く、
伊藤博文の回想で語られるのみで、
現在では信憑性は極めて薄くなっています。

結論から言うと、
伊藤の証言以外に記録には全く無いわけで、
これを絶対にあったとは断定は出来ない。
但しそれを持ってそんな訳がない続きを読む

長府藩と砂糖製造

長府藩は全国に先駆けて和砂糖を製造し、
大坂に販売したとされますが、
現在はそんな形跡は微塵も感じられません。

長府藩の砂糖製造は江戸中期頃、
永富独嘯庵により伝えられました。
独嘯庵は医者ながら殖産興業に関心があり、
藩に進言して白砂糖製造を許され、
安岡浦横野綾羅木、… 続きを読む

河豚食わざるの記を読んでみる

有名な吉田松陰の「河豚食わざるの記」。
※原文は不食河豚説
これを読んでみたいと思います。

世言河豚有毒矣、
世にいう河豚には毒があると。
其嗜之者特衆、
それでもこれを好む者は多い。
余獨不食、非懼死也、懼名也、
余は死を恐れず名を恐れるので食べない。
夫死者、人之所必有、
死は必ず人のところにやって来るが、
固不足懼也、
これを皆恐れない。
然死生亦大矣、続きを読む

勅使を迎える奇兵隊士達

攘夷を決行した長州藩に対し、
朝廷は激励の為に勅使正親町公董を派遣。
文久3年7月16日に勅使は下関に到着し、
白石正一郎邸に入ります。
宿陣の幹部らは白石邸に参謁し、
朝廷の激励の言葉を賜りました。

翌日勅使一行は各砲台を視察。
迎砲の発射、西洋銃陣や射的、
槍や剣の試合の披露も行います。
勅使正親町公董はこれに満足し、
その日の宿所長府へ向かいました。… 続きを読む

鎌倉殿の13人末裔の幕末

大河ドラマ鎌倉殿の13人は面白かった。
ほぼ屋内が舞台の暗い政治劇の筈が、
これ程面白く描けるとは。
僕の周りの歴史に余り興味ない連中も、
毎週楽しみにしていた程。
歴史得意でしょ?と色々聞かれますが、
戦国以降ならある程度知ってるが、
鎌倉時代はちとわからねえ。

港のヨーコヨコハマヨコスカ風に(笑)
僕が判るのは大江広元くらいです。
という訳で今更ですが
鎌倉殿の13人の末裔がどうなったか、
簡単に調べてみましょう。

①… 続きを読む