【幕末維新の話】」カテゴリーアーカイブ

西郷隆盛の首級

明治10年9月24日。
鹿児島城山に立て籠もる西郷軍約400名に対し、
城山を完全に包囲した政府軍は、総攻撃を開始しました。

3日前の21日には、西郷軍から西郷の助命の為に、
河村主一郎山野田一輔が政府軍本営に訪ねて来ますが、
征討総督府参軍川村純義続きを読む

八戸事件

慶応2年12月12日(清:同治5年)、
清国広州の中外新聞に、
香港在住の八戸順叔という日本人の寄稿が、
掲載されたという。

掲載された記事は、
「日本は軍制を改革して新型兵器・軍艦を購入・製造し、
 現在既に火輪兵船(蒸気軍艦)80隻を所有している。
 また12歳から22歳までの優秀な若者14名を選抜し、

 ロンドンに派遣。留学生らは西洋風の髪型にそろえて、
 ヨーロッパ式の軍服を着用し、英語にも精通している。
 江戸政府は督理船務将軍の中浜万次郎を上海に派遣し、
 火輪兵船を建造。国内260名の諸侯を江戸に結集し、
 朝鮮を征討しようとしている。
 日本が朝鮮を征討しようとするのは、
 朝鮮が5年に1度実施していた朝貢をやめ、
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人力車の話

今も京都などの観光地にある人力車
2つの車輪が付いた乗り物を人が引いて走るという
なんとも原始的なものなんですが、
文明開化な雰囲気がする不思議な乗り物です。

もちろんこれはドラマの影響なんでしょうが、
江戸から東京に変わって近代化された町に登場し、
維新後の文明開化の象徴のようなイメージがあります。
ですがこれは諸外国から入ってきたわけではなく、
日本で発明続きを読む

奇兵隊の吉田転陣

下関市吉田には、高杉晋作の墓所である東行庵があり、
また奇兵隊陣屋跡もあります。

結成以来各地に転陣していますが、
内訌戦で奇兵隊ら諸隊が勝利した後、
長州藩領の西端である吉田に本陣を移すことになりました。
これには大きくなりすぎて影響力を強める奇兵隊の、
発言力を弱める為であったとされます。… 続きを読む

榊屋仁作②

/②

文久3年5月16日。
白石正一郎の許に、目明し榊屋仁作から使いが来ます。
今日、藍島から目の下二尺もある鯛が届きました。
 久しぶりに粗酒一献差し上げたいと思いますので、
 ご兄弟揃ってお越し下さい
」との事。
廉作との一件とはうって変わっての様子で、
あまり気は乗らないが、せっかくのお誘いを断っては、
後日の祟りもあろうかと、廉作と2人で馳走に行きます。

攘夷熱の沸騰している下関で、
気の荒い連中が大勢押し寄せてる矢先、
京では目明しが… 続きを読む