鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗れた後、
徳川宗家15代徳川慶喜は朝敵となり、
水戸で謹慎処分となっています。
慶喜は養子徳川家達に家督を譲って隠居し、
新政府は徳川宗家の存続を決定。
駿河国及び遠江国70万石を、
家達に相続させる事となりました。… 続きを読む
「【幕末維新の話】」カテゴリーアーカイブ
四国連合艦隊の彦島租借要求
高杉晋作が下関戦争の休戦交渉において、
彦島租借要求を拒否した伝説があります。
しかしながらこの話は、
英国の外交記録やアーネスト・サトウの日記、
回想録等には全く記載が無く、
伊藤博文の回想で語られるのみで、
現在では信憑性は極めて薄くなっています。
結論から言うと、
伊藤の証言以外に記録には全く無いわけで、
これを絶対にあったとは断定は出来ない。
但しそれを持ってそんな訳がない… 続きを読む
長府藩と砂糖製造
長府藩は全国に先駆けて和砂糖を製造し、
大坂に販売したとされますが、
現在はそんな形跡は微塵も感じられません。
長府藩の砂糖製造は江戸中期頃、
永富独嘯庵により伝えられました。
独嘯庵は医者ながら殖産興業に関心があり、
藩に進言して白砂糖製造を許され、
安岡浦、横野、綾羅木、… 続きを読む
河豚食わざるの記を読んでみる
有名な吉田松陰の[河豚食わざるの記]。
※原文は不食河豚説。
これを読んでみたいと思います。
世言河豚有毒矣、
世にいう河豚には毒があると。
其嗜之者特衆、
それでもこれを好む者は多い。
余獨不食、非懼死也、懼名也、
余は死を恐れず名を恐れるので食べない。
夫死者、人之所必有、
死は必ず人のところにやって来るが、
固不足懼也、
これを皆恐れない。
然死生亦大矣、… 続きを読む
勅使を迎える奇兵隊士達
攘夷を決行した長州藩に対し、
朝廷は激励の為に勅使正親町公董を派遣。
文久3年7月16日に勅使は下関に到着し、
白石正一郎邸に入ります。
宿陣の幹部らは白石邸に参謁し、
朝廷の激励の言葉を賜りました。
翌日勅使一行は各砲台を視察。
迎砲の発射、西洋銃陣や射的、
槍や剣の試合の披露も行います。
勅使正親町公董はこれに満足し、
その日の宿所長府へ向かいました。… 続きを読む
鎌倉殿の13人末裔の幕末
大河ドラマ鎌倉殿の13人は面白かった。
ほぼ屋内が舞台の暗い政治劇の筈が、
これ程面白く描けるとは。
僕の周りの歴史に余り興味ない連中も、
毎週楽しみにしていた程。
歴史得意でしょ?と色々聞かれますが、
戦国以降ならある程度知ってるが、
鎌倉時代はちとわからねえ。
※港のヨーコヨコハマヨコスカ風に(笑)
僕が判るのは大江広元くらいです。
という訳で今更ですが
鎌倉殿の13人の末裔がどうなったか、
簡単に調べてみましょう。
①… 続きを読む

