臨渓院は臨済宗妙心寺派の古刹瑞泉寺の塔頭で、
文明14年(1482)に創建されたという。
瑞泉寺には24ヶ院もの塔頭があったとされ、
臨渓院もそのひとつでしたが、
織田信長の犬山城攻めの際に焼失し、
後に成瀬家2代成瀬正虎によって再建。
以後、成瀬家の国許… 続きを読む
愛知県犬山市 臨渓院(犬山城主成瀬家墓所)
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臨渓院は臨済宗妙心寺派の古刹瑞泉寺の塔頭で、
文明14年(1482)に創建されたという。
瑞泉寺には24ヶ院もの塔頭があったとされ、
臨渓院もそのひとつでしたが、
織田信長の犬山城攻めの際に焼失し、
後に成瀬家2代成瀬正虎によって再建。
以後、成瀬家の国許… 続きを読む
磐城平藩安藤家は飛地として美濃に1万8000石を領し、
これを管理する為に切通に出張陣屋を設けています。
切通は古来より交通の要路でしたが、
中山道が開通されてからは立場(休憩所)となり、
茶屋、菓子屋、… 続きを読む
凌霜隊は会津戦争後、猪苗代での謹慎を経て、
郡上藩預かりとなって郡上へ戻ってきました。
郡上藩としては脱藩した元藩士ですが、
これの処置にしくじるわけにはいきません。
とはいえ藩内には多くの親族もいることですし、
死罪は躊躇されましたので、投獄することに決定。
赤谷揚屋と呼ばれる牢房に入れられた元凌霜隊士らは、
環境か悪く病人が多発したという。
これに慈恩護国寺の住職らが藩に非道を訴え、… 続きを読む