[山口県(下関市除く)]」カテゴリーアーカイブ

山口県防府市 玉祖神社

玉祖神社周防国一宮
社伝によれば玉祖命が亡くなった際、
社殿を造営して祀った事に始まるという。
日本書紀には景行天皇熊襲征伐で、
神夏磯媛の一族が神器を捧げ恭順を示し、
※三種の神器のひとつ八尺瓊勾玉続きを読む

山口県山口市 泰雲寺/小早川隆景墓所

泰雲寺は山口市小鯖にある曹洞宗の寺院。
応永10年(1404)に大内盛見が建立し、
※盛見は大内家11代当主。
始めは闢雲寺と称したという。
大内教弘の時代に現在地に移転し、
※教弘は大内家13代当主。
教弘の菩提寺となっています。
その後に大内家は滅びますが、
小早川隆景の菩提寺となっており、
死後にその分骨が納められました。
奥方の… 続きを読む

山口県萩市 唐人墓

享保11年(1726)8月7日。
永代家老益田家の領地須佐湾唐船が出現。
長州藩は交渉の末に密貿易船と判断し、
これに攻撃を加えて沈めています。
長州藩の異国船討ち払い
唐船の乗組員は全て殺されており、
その遺体は湾内の長浜に埋葬されました。


須佐湾続きを読む

山口県山口市 山口客館跡

文久3年に長州藩は萩の指月城より、
山口政事堂(山口屋形)に藩庁を移鎮。
それに伴い対外的な応接所として、
慶応3年に山口客館が完成しています。


山口地方裁判所(山口御客屋跡)」。
現在の山口客館の跡は裁判所の敷地。
敷地内に山口客館跡碑があり、… 続きを読む

山口県山口市 山口宿跡

山口の発展は周防国守護職大内弘世が、
居館を大内村から移した事に始まり、
急速に発展したとされています。
弘世は街並みを京都に似せて造り、
小京都西の京と称されました。
やがて弘世は長門国も掌握し、… 続きを読む