佐賀の乱」タグアーカイブ

佐賀県小城市 小城陣屋跡

小城藩は、佐賀(肥後)の支藩。
初代佐賀藩主鍋島勝茂の長男鍋島元茂が、
初代藩主として立藩しまています。

元茂は勝茂の嫡子でしたが、
勝茂の後妻が徳川家康の養女であった為、
その後妻の子鍋島忠直が継嗣となり、
廃嫡させられて江戸に人質として送られました。
※結局忠直は早世してしまいますが、続きを読む

佐賀県鹿島市 鹿島城跡

鹿島城佐賀(肥前)の支藩鹿島藩の藩庁。

佐賀藩の藩祖鍋島直茂は、元々龍造寺隆信の家臣でしたが、
九州の桶狭間」とも称される「沖田畷の戦い」で、
隆信が討死した為、その実権を得る事となります。

もちろん隆信亡き後も竜造寺家は存続していましたが、… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 桐野利秋開墾地跡

鹿児島へ仕事で日帰り・・・。なかなかハードです。
しかも鹿児島へ行くときは、何故か天気があまり良くない。
今回も生憎の雨だったので、
史跡でも寄れたらなという思いは崩れ去る。

でも、現場から帰る途中に看板が見えましたので、
雨の中ですが寄ってみました。

県道40号線沿いを車で進んでいると見つけました。
これは寄らないわけにはいきません。


鹿児島市本城町周辺(桐野利秋開墾地跡の場所)

西郷隆盛の下野と共に辞表を提出した桐野利秋は、
この地に従僕一人を伴ってやって来て、
ここの開墾に精を出します。
身分や禄を失った不平士族達に対して、… 続きを読む

佐賀県佐賀市 本行寺(江藤新平墓所)

本行寺は、龍造寺胤家により建立された寺。
胤家は龍造寺家嫡男でしたが 家中の対立で出奔。
家督を継ぐことはなく各地を転々とした人物。
放浪の末に戻ってきたのか、
風の便りで死んだことを知った寺が建てたのか、
胤家のものと伝わる墓もあります。

また、龍造寺家や鍋島家に仕えた武将で、
多くの治水事業に貢献した成富茂安の墓もあります。
後にこの成富茂安の治水事業の手腕を耳にした明治天皇は、
幕末の志士達と共に従四位を追贈しています。… 続きを読む

佐賀県佐賀市 佐賀城跡

武士道とは死ぬことと見つけたり
葉隠武士と幕末の肥前藩のイメージは、
僕の中で結びつきません。
葉隠武士はどちらかというと、
水戸藩士の方がそれに近いような気がします。
※個人的意見です。

肥前藩は西洋技術の摂取に努めた最も近代的な藩で、
諸藩が右往左往する中で、幕末の政局に左右されず、
自藩の発展のみに尽くしていた感があり、
幕末も末期に入って完全に大勢が決して初めて姿を現し、… 続きを読む