野辺地戦争」タグアーカイブ

岩手県盛岡市 聖寿寺②(盛岡藩南部家墓所)

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南部家の墓所へ。

長い石段を登った先が南部家墓所。
この上に13人の当主(9人の藩主)の墓と、
南部家一族の墓があります。


28代南部重直の墓(中央)」、
32代南部利幹の墓(右)」、
34代南部利雄の墓(左)」。
※いつもは墓碑の戒名を読んでいますが、
 今回は多すぎるので「〇〇の墓」とします。

石段頂上手前を右に曲がった場所。
南部重直続きを読む

青森県上北郡野辺地町 常夜燈と春陽丸の野辺地砲撃

野辺地戦争の13日前の明治元年9月10日。
戊辰戦争の終盤を迎えた頃になっても、
なんら戦火の被害を受けていなかった野辺地に、
突如久保田藩所属の軍艦「春陽丸」が、
海上から砲撃を仕掛けてきました。

春陽丸は佐賀藩士中牟田倉之助が指揮し、
秋田から北上して陸奥湾に入って野辺地を砲撃。… 続きを読む

青森県上北郡野辺地町 野辺地戦争関連史跡

盛岡藩領内に侵攻した弘前藩黒石藩兵は、
馬門村に進入すると次々に放火を開始。
民家64戸と遍照寺が焼失してしまいます。
この馬門にあった番所も焼失しており、
虚を突かれた役人及び守備兵は、
野辺地方面に逃走しました。


馬門御番所跡」。… 続きを読む

青森県上北郡野辺地町 野辺地戦争戦死者墓所

弘前藩奥羽越列藩同盟を脱退しますが、
同盟には「特別な関係にある近衛家の命令によって、
仕方なく脱退しなければならなくなってしまったが、
国内警備に専念して出兵しない
」と弁解していました。
ですが実際には、新政府側として秋田戦争に出兵し、
久保田藩を支援しています。

久保田藩の支城大館城は、盛岡藩続きを読む

青森県上北郡野辺地町 藩境塚

南部家鎌倉時代から続く名門で、戦国時代の最盛期には、
現在の岩手県中部・北部と青森県全域を掌握していました。

しかしその一族である大浦為信は、反旗を翻して独立を図り、
中央の豊臣政権に対する工作が功を奏し、
津軽氏を名乗って独立大名として認められています。
関ヶ原の戦い後は、双方とも所領を安堵され、
盛岡藩弘前藩として江戸時代を通じて存在するわけですが、
そういう経緯もあって両藩は… 続きを読む