つづき。
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5月1日。
曇り。戸田氏が来て共に稽古に出席。
父上も一緒。
高坂にて百人一首を買う。
風呂に入り、吉松氏宅へ行く。
村上辰太郎殿に、
桑酒のお礼の砂糖漬けを差し上げる。
兒玉氏宅にも行く。
本日、上様が御参内してお暇を申し出た。
大渕医師に医料200疋、
百々一郎に50疋差し上げる。
三郎と伊三が買い物に行った。
※百人一首?皆で遊ぶのでしょうか?
お見舞いのお返しにあげるのは、
今も昔も一緒ですね。
先日より登場した大渕氏は、
医者だったようですが、
百々一郎とは?助手でしょうか?
5月2日。
雨。朝、当番に出勤。お暇の御挨拶をする。
父上は御供で柏木の警護。
夜五ッ時頃にお帰り。三郎は夕番。
5月3日。
晴れ。朝、荷物を片付ける。
今日は稽古を休み、
昼後に忠内氏と共に清水寺、
祇園八坂神社に参拝。
五条坂にて小さな猪口を3つ100文買い、
菅笠1朱50文を2つ買う。
夕方帰宅。夜、天野氏、三橋氏、
三枝氏、近藤氏が来て、
四ッ時頃まで話す。
※荷物を片付けて出立準備していますね。
5月4日。
晴れ。今日も朝荷物をこしらえる。
不破氏が餞別として、扇子1本、
加茂の菓子皿、ビロードを持って来た。
宿の主人が京の名所が描かれた扇子を、
10本持って来た。
浅井氏と筒井氏にも、
不破氏が下緒を1つずつを渡す。
忠助に金子を渡す。
奥詰一統に奥より金子が拝領される。
戸田氏と父上は別段で300疋、
他に師範役が500疋、教授方が1両、
世話心得が300疋、
これらは骨を折ってくれたお礼との事。
戸田氏、今堀氏、中根氏が来た。
旅館に長々と世話になったので、
500疋と200疋、
私と三郎は二人で200疋渡す。
鯛5枚を購入し、
2枚を不破氏へ1枚を旅館に渡す。
代金2分3朱。
忠内氏が来る。旅館よりそばとすしが届く。
夜分に戸田氏が来た。
※京を発つにあたり、
お手当が支給されています。
5月5日。
菖蒲の節句。天気は良い。
渡邉一郎兄弟が鱒を持って暇乞いに来る。
柏木元三郎殿が来る。
大助殿が昨日頼んだがんどうを持って来た。
中川萬次郎殿が餞別に扇子を持って来た。
嶋田氏、渡邊氏、不破氏、鶴太郎殿が来る。
中根氏はうなぎを持って来た。
江戸表から書状が届く。
友山芳八郎、須加井發之丞殿が来る。
不破氏宅に暇乞いに行き、
柏木氏宅、忠内氏宅、吉松氏宅、
成瀬氏宅にも挨拶。
山田喜次郎殿が小菊紙を持ってくる。
浅井氏にも・・。
父上は御用にて頭取に会いに出て、
五ッ時頃に帰ってきた。
夜分戸田氏、近藤氏が来た。
※がんどうは提灯のようなもので、
前方を照らす懐中電灯のようなもの。
5月6日。
当番につき、早朝出勤。
今日が当番の仕事納め。
昼に帰る。浅井氏、筒井氏は昼後に出勤。
手嶋厚之助殿が餞別に猪口と扇子をくれた。
小菊紙五枚をお返しに渡す。
中川萬次郎殿に菓子折を進呈。
奥詰の人々が大勢来る。
兒玉氏、戸田氏は先番。不破氏、忠助は、
明日大坂に出発。旅館で夕食を食べ、
近藤氏が夜に入ってから来た。
夜中徳田貢が扇子を持って来た。
内藤音三郎殿は煙草を餞別にくれる。
※扇子って1つしかいらないですよね。
今まで相当数の扇子を貰っていますが、
どうするんでしょうかね。
5月7日。
晴れ。明け八ッ時、
忠内氏の旅館に寄ってから御城へ。
玄関脇で待って、六ッ時にお供が揃う。
上様を乗せた駕籠が出発。
道筋は堀川通りから四条通り、寺町、
大佛前、伏見通りから豊後橋を渡って、
舟に乗り、途中の稲荷で休憩。
淀川を下ると雨が降り出して難儀したが、
景観はよかった。
枚方でくらわんか餅が村中から振舞われる。
八ッ時頃に大坂京橋で下舟。
我々は行列にて大坂城に入城。
御城はまさに日本一。
夕方に雨が止んで晴れた。
忠内氏と共に、谷町大仙寺の旅宿へ行く。
忠内氏、児玉氏も同宿。
賄いの人数も大勢で京都よりよほど手厚い。
※京都を出発し、大坂へ。
京‐大坂はそんなに遠くないですね。
枚方のくらわんか餅は、
「食らわんか」と声を掛けて売る餅で、
江戸時代初期からの枚方名物。
旅宿は京都よりもサービスが良いようで、
さすが商売の町といったところ。
5月8日。
晴れ。忠内氏付きの人々が大勢来る。
三隻氏、三駒氏と共に、
心斎橋、日本橋、道頓堀、
四ツ橋辺りへ行く。
四ツ橋でキセルを500文で購入し、
昼時に帰宅。
食後に皆で市中見物。
戸田氏や父上の旅宿に挨拶し、
天満橋を渡って天神へ参拝する。
夕七ッ時に帰宅。
※皆で楽しそうに大坂観光。
今回は父上とは同宿ではないようです。
伊庭がキセルを買った四ツ橋には、
キセル屋が多くあったらしい。
5月9日。
晴れ。
早朝に近鐘氏、三郎、近釜氏、三隻氏、
三駒氏と共に、
難波、四ツ橋に行って網舟に乗り、
木津川から天保山下を通り、
網打ちを始めるが、
不漁でボラが10匹ほどと蛤が少々のみ。
景色は良く、前に淡路島、
左に紀州が見えており、
この辺りには御台場が造られていた。
帰りは新なし川を通ったが、
この辺りは葦が多く景色が良い。
この辺りで休憩した後、七ッ時頃に帰宅。
今日、荷物が京より届いた。
※漁に出ていますが、獲物はボラと蛤。
投網でしょうかね?
新なし川はおそらく尻無川。
5月10日。
晴れ。当番にて忠内氏、筒井氏、
近鐘氏が出勤。
浅井氏は休み。自分と三郎は夕方外出し、
三駒氏、三隻氏、浅井氏、
泰次、吉松の家来と、
天王寺茶臼山辺りに行き、
帰り道に道頓堀にて中食を食べた。
この辺りは繁華街である。
八ッ半時に出勤。
広大な御城を見て黄金水を飲んだ。
不眠の番。
※道頓堀は当時も繁華街。
黄金水というのは、大坂城の井戸水で、
天守に一番近い井戸の水。
現在も金明水という名で残っています。
5月11日。
上様は兵庫表へお成りになられ、
忠内氏の組でも15人がお供した。
自分らは明け番なので、同行はしていない。
四ッ時頃に帰宅。
昼後に吉松氏と共に天王寺清水寺へ行き、
夕方帰宅。
※連日天王寺観光。
寝てないはずですが元気ですね。
5月12日。
晴れ。夕方から雨。
六ッ半時に揃って御城へ出勤し堺へ移動。
上様は八ッ時頃に船で着きになり、
お供して堺の天下茶屋へ。
御城まで戸田氏や兒玉氏が付き従い、
天王寺辺りで雨が降り出した。
下宿にて寿司を1朱で買い、七ッ時に帰宅。
道中、住吉社の前を通った。
堺は繁華街で花鋏を3朱で買った。
※上様のお出迎えですね。
堺も賑やかだったようです。
5月13日。
雨。先日の中食代一人3朱。
昼代1朱と100文。
昼後、
浅井氏、三駒氏、三隻氏、三郎とで、
父上宅へ行き、
帰り道に金國楼へ参り、
夕方五ッ時頃帰宅。三橋氏宅へも行く。
※金國楼?遊郭でしょうかね。
5月14日。
晴れ、当番につき朝、浅井氏と出勤。
上様は天守閣へ御駕籠でお成りになった。
先日のお供をした者の名簿を、
通達してきた御徒目に提出。
帰り道に父上宅と湊氏宅に行き、
帰り道にウナギを食べた。
夜五ッ時頃に帰る。
松田氏から手紙と菓子を頂く。
夜に入り戸田氏、忠内氏、兒玉氏、
浅井氏が頭取に会いに行き、
明け方に帰宅された。
※お供した者の名を上様が聞いてきた。
・・褒美ですね。
こういうのは自主的なのでしょうか?
しかしウナギ好きですねぇ。
つづく。
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