熊本士族池辺吉十郎は熊本隊を結成し、
西郷軍に参加して各地と転戦。
水俣から大口へ進軍する政府軍を抑える為、
辺見十郎太率いる雷神隊と共に、
人吉から大口へと移動しています。
明治10年5月4日。
水俣の政府軍… 続きを読む
投稿者「kii」のアーカイブ
宮崎県延岡市 中津大四郎墓所
北川陵墓参考地より北側に登ると、
中津大四郎の自刃の地及び墓所があります。
彼は熊本藩の出身でしたが、
薩軍の挙兵を聞いて竜口隊を組織し、
熊本鎮台の食料貯蔵庫を襲撃。
食料を持って薩軍への従軍を願い出て、
兵站護衛の任を与えられました。
後に戦況の悪化に伴い戦闘に参加しており、… 続きを読む
宮崎県延岡市 北川陵墓参考地
瓊瓊杵尊の御陵は可愛山陵と治定されますが、
男狭穂塚陵墓と北川陵墓が参考地として、
宮内庁の管轄地となっています。
瓊瓊杵尊の御陵は日本書紀によると、
[筑紫日向可愛山之山陵]となっており、
これは可愛岳… 続きを読む
宮崎県延岡市 南洲翁寓居跡(再訪)
明治10年8月15日。
和田越の戦いに敗れた西郷軍は、
長井村まで退却し児玉熊四郎宅に宿陣。
程近くに瓊瓊杵尊の御陵があり、
※北川陵墓参考地。
官軍が皇祖御陵に砲撃しないであろうと、
ここが選ばれたとされています。
「南州翁寓居跡」。
西郷が宿陣した児玉熊四郎宅跡で、
[… 続きを読む
大分県大分市 岡藩三佐御茶屋跡
江戸時代の大分市域には府内藩領の他、
熊本藩領、臼杵藩領、延岡藩領、岡藩領と、
4つの藩領と幕府領が入り混じっていました。
岡藩領は豊後(肥後)街道の今市宿付近と、… 続きを読む
大分県大分市 鶴崎湊跡
現在は埋め立てられて痕跡もありませんが、
熊本藩鶴崎御茶屋から北へ行くと、
入江を利用した鶴崎の湊がありました。
「肥後藩主参勤交代時船着場跡」碑。
新堀公園内にある跡碑。
熊本藩の御座船[波奈之丸]の発着地は、
この公園辺りだったとのこと。
熊本藩主は熊本城を出発して、
豊後(肥後)街道を通って鶴崎まで陸路を使い、
ここから船で豊後水道から瀬戸内海… 続きを読む
大分県大分市 毛利空桑旧宅
毛利空桑は熊本藩の幕末期の儒者で、
熊本藩領鶴崎で私塾[知来館]を開設し、
文武両道と尊皇論を唱えました。
その門弟は890人以上であったとされ、
遠方からもその意見を問う人が絶えず、
吉田松陰や斉藤監物も空桑を訪ねています。
「… 続きを読む