大多喜町に本多忠勝の墓があります。
本多忠勝は本多平八郎宗家の初代当主で、
大多喜藩の初代藩主。
その子孫は岡崎藩の藩主家となっており、
忠勝より16代続き藩藩置県を迎えました。
忠勝は徳川四天王として徳川家康に仕え、
生涯で57回の戦に参加しましたが、… 続きを読む
千葉県夷隅郡 良玄寺/本多忠勝墓所
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大多喜町に本多忠勝の墓があります。
本多忠勝は本多平八郎宗家の初代当主で、
大多喜藩の初代藩主。
その子孫は岡崎藩の藩主家となっており、
忠勝より16代続き藩藩置県を迎えました。
忠勝は徳川四天王として徳川家康に仕え、
生涯で57回の戦に参加しましたが、… 続きを読む
一宮陣屋跡にある振武館の裏側より、
最後の藩主加納久宜の墓所へ行けます。
「前一宮町長 貴族院議員
従二位勲二等 子爵加納久宜公墓」。
一宮藩4代藩主(8代当主)加納久宜の墓。
久宜は三池(下手渡)藩立花家の出身で、
6代立花種周… 続きを読む
一宮藩は文政9年(1826)に伊勢国の八田藩が、
上総国の飛地である一宮に陣屋を移し、
一宮藩として成立させた譜代藩。
藩主家の加納家は紀州藩の家臣でしたが、
徳川吉宗が8代… 続きを読む
玉前神社は長生郡一宮町にある上総国一宮。
玉依姫命を祭神とする神社で、
創建年代は不詳ではあるものの、
神武天皇か景行天皇の時代の創立という。
玉依姫命が女性の神様である為、
女性を守護する神社として知られ、
縁結び、子授け、安産祈願等に、… 続きを読む
長瀞藩米津家は定府大名で、
藩主の御国入りは殆どなかった為、
藩庁であった長瀞陣屋は、
政務を行うだけの簡素なものだったという。
その長瀞陣屋も戊辰戦争で焼失しており、
戦後も藩政は混乱状態が続き、
かろうじて政務は東京で行われていました。
これを打開する為に藩庁を移転する事とし、
明治2年に… 続きを読む