続き。
①/②/③/④/⑤/⑥
嘉永2年7月10日
①北風が強く船が出航できない。
森重政之進、飯田猪之助と共に陸路を行き、
滝部、上太田、… 続きを読む
吉田松陰の北浦巡視③
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かつて火の山には灯篭堂があり、
石灯篭が道標の役割をしていたそうですが、
現在はそのような石灯篭は見当たらない。
吉田松陰の[廻浦紀略]でも、
火の山の上に灯篭がある事を書いています。
現在日和山公園にある[つかずの灯篭]が、
その石灯篭だとされていますが、
※記事は… 続きを読む
吉田松陰の視察日記[廻浦紀略]によると、
松陰は嘉永2年7月16日、
引島(彦島)福浦の金毘羅山に登っています。
この金毘羅山に灯籠堂があったそうで、
福浦に来る船の目印とされていたという。
金毘羅山は金刀比羅宮建立後の名前で、
富観台とも呼ばれていますし、
それまでは頭兜山… 続きを読む
下関市伊崎町に伊崎厳島神社と、
鈴ヶ森稲荷神社という2つの神社が、
小瀬戸(小門)を望む高台にあります。
源平合戦の際に都を追われた平家一門が、
西へ逃げる際に安芸の厳島神社から、
厳島大明神を分霊して持ってきていました。
そして壇ノ浦の戦いで平家が惨敗した為、… 続きを読む