吉田松陰まとめ」カテゴリーアーカイブ

下関市みもすそ川町 火の山灯篭堂の石灯篭

かつて火の山には灯篭堂があり、
石灯篭が道標の役割をしていたそうですが、
現在はそのような石灯篭は見当たらない。

吉田松陰の[廻浦紀略]でも、
火の山の上に灯篭がある事を書いています。
現在日和山公園にある[つかずの灯篭]が、
その石灯篭だとされていますが、
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静岡県下田市 下田湊②/松陰の密航計画

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嘉永7年(1854)3月28日。
吉田松陰と同郷の足軽金子重輔は、
下田ペリー艦隊への密航を計画。
黒船に乗り込んで密航を談判しました。… 続きを読む

下関市彦島 福浦金刀比羅宮

吉田松陰の視察日記[廻浦紀略]によると、
松陰は嘉永2年7月16日、
引島(彦島)福浦の金毘羅山に登っています。
この金毘羅山に灯籠堂があったそうで、
福浦に来る船の目印とされていたという。
金毘羅山は金刀比羅宮建立後の名前で、
富観台とも呼ばれていますし、
それまでは頭兜山続きを読む

下関市伊崎町 伊崎厳島神社

下関市伊崎町に伊崎厳島神社と、
鈴ヶ森稲荷神社という2つの神社が、
小瀬戸(小門)を望む高台にあります。

源平合戦の際にを追われた平家一門が、
西へ逃げる際に安芸の厳島神社から、
厳島大明神を分霊して持ってきていました。
そして壇ノ浦の戦いで平家が惨敗した為、… 続きを読む