浜田城自焼後の浜田藩② コメントを残す つづき。 ①/②/③/④7月19日。長州藩軍が総軍浜田城下に入る。浜田藩退去に伴い貧困層の略奪が発生し、城下は混乱を極めます。7月20日。隣接する大森銀山(石見銀山)では、代官鍋田三郎衛門が… 続きを読む
大島戦争(大島口の戦い)③ 2件の返信 続き。 ①/②/③6月16日。夜明け頃。野営していた浦滋之助配下の秋良政一郎は、久賀沖に停泊しているはずの幕府艦隊が、いつの間にかいなくなっているのを発見。秋良はこれを攻勢の好機と見て、本陣の西蓮寺… 続きを読む
大島戦争(大島口の戦い)② コメントを残す 続き。 ①/②/③大島攻撃は山口政事堂へ伝えられますが、大島より山口までは約1日の期間を要し、6月7日の長崎丸の攻撃の一報は、山口政事堂に翌8日にもたらされました。これを聞いた山口政事堂の藩政府は、長崎丸の砲撃を威力偵察と判断して、「動揺せずに待敵の姿勢を崩さないように」と大島に通達。… 続きを読む
大島戦争(大島口の戦い)① コメントを残す①/②/③大島戦争は幕長戦争の初戦にして、長州藩が領内に侵略された唯一の戦い。慶応2年6月5日付で長州藩への攻撃命令が、広島に滞陣していた幕府軍に出されます。長州藩領周防大島は東側の海から攻める際、本土を守る壁のようにある大きな島。幕府軍はまずここを占領して、… 続きを読む