医光寺の前身は天台宗寺院の崇観寺で、
南北朝時代の創建とされており、
元々の医光寺はその塔頭であったという。
崇観寺は益田家に庇護されていましたが、
戦国時代の戦火で荒廃してしまい、
後に益田家17代益田宗兼が医光寺を再建。
崇観寺の継承寺院にしたようですが、… 続きを読む
「島根県」カテゴリーアーカイブ
コメントを残す
島根県益田市 益田兼堯墓所
幕末とは大きく離れてはいますが、
益田市にある益田家の墓所を巡ってみます。
萬福寺にある益田家当主の墓所を、
以前にも記事にしていましたが、
他にも益田家当主の墓所が散在しており、
これを巡ってみようと考えました。
15代当主益田兼堯の墓所は、
七尾町桜谷の墓地内にあります。
「益田兼堯の墓」。
益田家15代当主益田兼堯の墓。
14代益田兼理… 続きを読む
島根県松江市 禅慶院/因州藩五士墓所
文久3年8月17日。
河田佐久馬ら鳥取藩の尊攘派22名は、
藩論を尊皇攘夷へ移行させようとし、
京都駐屯の鳥取藩の本陣本圀寺で、
佐幕派藩士黒部権之介、高津省己、
早川卓之丞、加藤十次郎の4名を襲撃。
偶然にも非番であった加藤を除き、
黒部、高津、早川、早川の従者の4名が、
島根県松江市 玄丹かよ像
玄丹かよは鍼医師錦織玄丹の娘で、
本名は錦織加代といいました。
父の玄丹は松江藩士でしたが眼病を患い、
盲目となった為に鍼医となった人物で、
かよは盲目の父をよく助け、
生活の為に芸妓となっています。
慶応4年に山陰道鎮撫使の一行が西下。
松江藩は態度を曖昧としていた為、
領地の半分を返上するか、… 続きを読む
島根県松江市 松江宿跡
松江宿は山陰街道の宿場で、
天神川の南側に置かれました。
松江市街南側周辺。緑の線が街道筋で、
青い線は松江城への道。
青でぼかした辺りが松江宿跡。
「松江宿跡」。
松江宿の街道筋は国道9号線沿いですが、
往時の面影は皆無です。
強いて言うならば商店が多いのが名残?
松江の武家屋敷は状態良く残されており、… 続きを読む
島根県松江市 法眼寺
法眼寺は松江市外中原町の曹洞宗寺院。
元々は松江城の建つ亀田山に所在し、
松江城の築城に伴い大橋川畔に移転。
その後の大火で伽羅を焼失し、
現在地に再移転しています。
この法眼寺の山門手前には、
大橋茂右衛門家の墓所があります。
「大橋茂右衛門家墓」。… 続きを読む