體玄寺は八橋にある臨済宗寺院。
中村一忠が米子に入封した際に、
駿河国の領地内にあった慶久寺を、
八橋城の南に移転させています。
中村家が改易となると市橋長勝が入り、
矢橋藩… 続きを読む
鳥取県東伯郡 體玄寺/津田家墓所
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體玄寺は八橋にある臨済宗寺院。
中村一忠が米子に入封した際に、
駿河国の領地内にあった慶久寺を、
八橋城の南に移転させています。
中村家が改易となると市橋長勝が入り、
矢橋藩… 続きを読む
八橋宿は山陰街道の宿場町。
高比売命が当地に下向した際、
暗雲が立ち込め八匹の大蛇が現れたとされ、
まるで八つの橋のように見えたという。
高比売命が素戔嗚尊に加勢を念じると、
その八匹の大蛇は瞬く間に消失。
あたりは青天となったとのこと。
この故事から[八橋… 続きを読む
赤碕宿は山陰街道の宿場町。
良港であった赤碕湊は鳥取藩に重要視され、
領内六大湊に数えられていたようで、
※他は境湊、米子湊、浦富湊、賀露湊、… 続きを読む
赤碕台場は鳥取藩が設置させた台場跡。
文久3年に造営されたもので、
珍しい西洋式の半円形の台場でした。
「赤碕台場跡」。
赤碕台場跡は良好な状態で残っていましたが、
昭和33年より開始された国道9号線の工事で、
残土の捨て場となって埋められています。… 続きを読む
下市宿は山陰街道の宿場町。
汗入郡と八橋郡の郡境に近かった為、
軍事的に重要な場所であった事から、
下市城が築かれていました。
戦国時代には吉川元春の所領となっており、
家臣の森脇若狭守にこの地を守らせ、
次代吉川広家… 続きを読む
御来屋宿は山陰街道の宿場町。
元々は名和荘と呼ばれた地で、
国人領主名和氏が治めていました。
元弘の乱で討幕を画策した後醍醐天皇は、
計画が露呈した為に隠岐に流されますが、
翌年に脱出して名和湊に上陸。… 続きを読む
淀江宿は山陰街道の宿場町。
古代より多くの人が暮らしていた地で、
古墳が数多く発見されています。
大山寺への参詣者も多く訪れ、
賑わいを魅せていたようで、
隣接する淀江湊も良港であった為、
鳥取藩が藩蔵を設置していました。
淀江町今津周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが淀江宿跡。
「… 続きを読む