慶応4年正月の鳥羽伏見の戦いにおいて、
薩摩藩本営東寺に錦旗が揚げられます。
これにより幕府勢は朝敵となる事を恐れ、
退却や寝返りが多発。
新政府軍の勝利に終わりました。
元々[錦の御旗]は朝敵討伐の証として、
天皇が官軍の大将に与える旗ですが、
天皇がその御旗を所持していて、
実際にその大将に与えるわけではなく、
勅命を受けた大将が… 続きを読む
山口県山口市 錦の御旗製作所跡
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慶応4年正月の鳥羽伏見の戦いにおいて、
薩摩藩本営東寺に錦旗が揚げられます。
これにより幕府勢は朝敵となる事を恐れ、
退却や寝返りが多発。
新政府軍の勝利に終わりました。
元々[錦の御旗]は朝敵討伐の証として、
天皇が官軍の大将に与える旗ですが、
天皇がその御旗を所持していて、
実際にその大将に与えるわけではなく、
勅命を受けた大将が… 続きを読む
長州藩が維新に貢献出来た最大の理由は、
藩主が毛利敬親であったからだと思う。
同時期に活躍した雄藩には、
賢候とされる藩主がいますが、
敬親は賢候と称されることはありません。
四賢侯と呼ばれる福井藩の松平春嶽、
土佐藩の山内容堂、薩摩藩の… 続きを読む
玄済寺にある福原広俊の墓。
※吉敷毛利家の記事と分けました。
「家老 十三代福原広俊公」。
福原家13代当主福原広俊の墓。
吉敷毛利家が知行地替えで吉敷に入る前は、
吉敷周辺は福原家… 続きを読む
県下22の招魂場のひとつ吉敷招魂場は、
吉敷毛利家家臣を招魂する為に、
慶応2年に吉敷毛利家により建立。
吉敷毛利家菩提寺玄済寺の近くの天神山に、
吉敷招魂場は建立されていますが、
元は歴代祖公を祀る宣徳社があった場所。
山口氏吉敷周辺(吉敷招魂場の場所)。
「天神山公園」。
天神山といっても小さな丘のような場所。… 続きを読む