[山口県(下関市除く)]」カテゴリーアーカイブ

山口県山口市 錦の御旗製作所跡

慶応4年正月の鳥羽伏見の戦いにおいて、
薩摩藩本営東寺に錦旗が揚げられます。
これにより幕府勢は朝敵となる事を恐れ、
退却や寝返りが多発。
新政府軍の勝利に終わりました。

元々[錦の御旗]は朝敵討伐の証として、
天皇が官軍の大将に与える旗ですが、
天皇がその御旗を所持していて、
実際にその大将に与えるわけではなく、
勅命を受けた大将が… 続きを読む

山口県山口市 野田神社と豊栄神社

長州藩が維新に貢献出来た最大の理由は、
藩主が毛利敬親であったからだと思う。
同時期に活躍した雄藩には、
賢候とされる藩主がいますが、
敬親は賢候と称されることはありません。
四賢侯と呼ばれる福井藩松平春嶽
土佐藩山内容堂薩摩藩の… 続きを読む

山口県山口市 玄済寺/福原広俊墓所

玄済寺にある福原広俊の墓。
吉敷毛利家の記事と分けました。


家老 十三代福原広俊公」。
福原家13代当主福原広俊の墓。
吉敷毛利家が知行地替えで吉敷に入る前は、
吉敷周辺は福原家続きを読む

山口県山口市 玄済寺/吉敷毛利家墓所③

//③
つづき。


洞元院殿貫禪一之大居士」。
13代及び15代当主毛利元一の墓。
12代毛利房謙の嫡男として生まれ、
父の死去に伴い家督相続しました。
家臣の子弟教育を推奨したようで、
優秀な者を遊学させるなど、
非常に開明的な当主であったという。
藩内では正義派続きを読む

山口県山口市 玄済寺/吉敷毛利家墓所②

/②/
つづき。


慈光院殿在天道自大居士」。
3代当主毛利元包の墓。
2代毛利元包の嫡男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
同年に家中の知行地再編で吉敷に移り、
以降は代々吉敷を所領。
46年の当主在籍の後に隠居し、
その5年後に死去しています。… 続きを読む

山口県山口市 玄済寺/吉敷毛利家墓所①

①//

毛利元就の九男であった小早川秀包は、
関ヶ原の戦い後に改易されて浪人となり、
後に改めて毛利輝元に召し抱えられ、
阿川滝部殿居7000石を与えられました。
これが… 続きを読む

山口県山口市 吉敷招魂場

県下22の招魂場のひとつ吉敷招魂場は、
吉敷毛利家家臣を招魂する為に、
慶応2年に吉敷毛利家により建立。

吉敷毛利家菩提寺玄済寺の近くの天神山に、
吉敷招魂場は建立されていますが、
元は歴代祖公を祀る宣徳社があった場所。


山口氏吉敷周辺(吉敷招魂場の場所)。


天神山公園」。
天神山といっても小さな丘のような場所。… 続きを読む