[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市豊北町 附野薬師と俵石

吉田松陰北浦巡視の際、
附野薬師のそばにある俵石という奇石を、
見学したとあります。


東山寺 」。
日本三大薬師のひとつとされる東山寺は、
当時は東福寺という寺号だったようで、
本尊の… 続きを読む

下関市豊北町 土井ヶ浜の鬼の松

夏になると海水浴客でにぎわう土井ヶ浜
美しい白い砂浜が有名で、
わざわざ他県からも泳ぎに来るほどです。

元寇では蒙古の大軍が押し寄せており、
所々で色々な伝承があったりしますが、
蒙古兵を埋葬したとされる場所もあり、
塚印に3本の松が植えられたという。
その3本のうち1本は枯れてしまい、
2本が残っていたようですが、
枯れたその松の枝を焚くと、
火粉が散り大風になる言い伝えがあり、
残った2本の松は[… 続きを読む

下関市豊北町神田 神功皇后神社

吉田松陰北浦巡視の際に神功皇后神社で、
土井ヶ浜から出土した刀剣を見たようです。


神社ですが山門のような門。
もちろんその前の参道に鳥居があります。


神功皇后神社拝殿」。
蒙古軍が土井ヶ浜に襲来しましたが、
北條時宗続きを読む

下関市豊北町 松陰先生登臨之碑

吉田松陰北浦巡視の際に、
阿川を訪れています。
※記事はこちら

松陰は阿川の日和山に登って、
本浦の東西と今浦台場を眺めました。

豊北町阿川周辺(日和山の場所)


日和山の麓にある… 続きを読む

下関市豊北町 滝部八幡宮

滝部八幡宮は滝部の氏神として敬われ、
阿川毛利家の庇護を受けていました。
ここに吉田松陰が書いた碑文による、
烈婦登波の碑が建っています。

大鳥居の横の大きな石碑。

中山太一顕彰碑」。
中山太一は滝部出身の実業家で、
化粧品製造の中山太陽堂創業者。
㈱クラブコスメチックスの前身です。
故郷の滝部に多額の寄付を行った人物。

八幡宮の隣にはノスタルジックな建物が。… 続きを読む

下関市豊北町 夜討峠

中山忠光は北浦逃避行の末、
田耕長府藩士によって殺されましたが、
彼らは忠光の遺骸を夜討峠まで運び、
一旦そこに埋めた後に掘り返し、
代わりに血染の衣を埋めています。


豊北町田耕周辺(夜討峠の案内板の場所)
夜討峠は地図の下太田と書かれたあたり。
田耕は地図右上の方向なのですが、
川沿いの街道を通らずに、
密かに山道を進んだようです。
※今回目指す石碑の場所は山中なので、
 正確な場所はわかりません。
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下関市豊北町 肥中湊

肥中港特牛港の北側の湾にある港で、
小さな漁村といった雰囲気の港です。


豊北町大字神田肥中(肥中港の場所)

この小湊が歴史上重要な場所であった事は、
一般にはあまり知られていません。
大内氏時代より朝鮮貿易の為に整備され、
鎖国後も密貿易の拠点であったとされます。
北浦の隠れた場所でありながら、
肥中街道により山口にも結ばれており、
輸送にも大変優れた場所でもありました。… 続きを読む