[山口県下関市]」カテゴリーアーカイブ

下関市伊崎町 小門の報済園

下関と彦島の間にある細い海峡を、
小門または小瀬戸と言います。
[小門の夜焚]という舟遊びで知られた地で、
松明を焚いた小舟を浮かべて、
その明かりに集まった魚を網で捕らえ、
舟上で料理して食べていたとのこと。

[日本外史]の著者でもある儒学者頼山陽や、
晋作が愛した南画家田能村竹田も、
[小門の夜焚]で遊んだとされています。… 続きを読む

下関市田倉 勝山御殿(再訪)

久々に勝山御殿跡に行ってみました。

長府藩の藩庁であった長府陣屋は、
関門海峡に近接した場所であったので、
海上から砲撃に耐えられません。
そこで内陸に陣屋を移転します。
それが勝山御殿で、
約半年の突貫工事で造られたこの御殿は、
御殿という名の戦闘要塞でした。


当時の長府の地形図。
長府では外国船続きを読む

下関市吉田 山縣狂介(有朋)像

久々に東行庵に行ってきました。
お目当ては新しくできた山縣狂介像
東行忌に除幕式が行われたようです。


山縣狂介(有朋)像」。
高杉晋作陶像の一段下に設置されています。
片膝を付いて刀を立てて髪は月代。
奇兵隊軍監当時のものでしょう。


高杉晋作銅像」。
失礼して台座に座らせて頂きました。
晋作は小さな女の子を可愛がったそうで、… 続きを読む

下関市新地町 高杉東行終焉之地

高杉晋作の終焉の地が綺麗になってます。
といっても整備されたのは去年の話。
地元ながら全然知りませんでした。

高杉東行終焉之地」。
いや~きれいになった。


以前の「高杉東行終焉之地」。
これはこれで重厚感があって好きです。
残念ながら後ろの錆びたシャッターが、
景観を台無しにしてくれてますケド・・。
ちなみに後ろの建物は廃墟のようで、
スーパーや市場的な跡なのですが、
僕が覚えている限りずっと廃墟。
基本的にはこのバックの残念な廃墟を、
綺麗な竹垣で隠したことがメインですね。
なんてナイスな改修なんでしょう。… 続きを読む

下関市上新地町 桜山神社(桜の季節)

全国の招魂社や護国神社による、
指導者から小者にいたるまで等しく祀る
という招魂社の考えは高杉晋作の発案で、
この桜山神社(桜山招魂場)が最初です。
招魂場となってから桜を植えたことから、
桜山と呼ばれるようになりました。

・・・ということで、
桜の季節に言ってみました。

参道の階段の両脇は桜が満開です。


[春季大祭 続きを読む

下関市丸山町 桜と高杉晋作陶像

高杉晋作の陶像のある日和山は、
桜の名所でもあります。

普段は気がつかないんですが、
陶像周辺の木はすべて桜。

晋作像は備前焼で作られております。
勿論当初は銅で作られていたのですが、
大東亜戦争金属供出で失われました。
後に再び戦争で失われないようにと、
備前焼の陶像として再建されました。
台座の裏には、
「… 続きを読む

下関市長府 旧桂弥一邸

長府を流れる小さな川、
壇具川のほとりに旧桂弥一邸があります。

桂弥一報国隊に入隊し、
北越戦争に小隊長として従軍。
その後、病気を患って軍人の道を諦めます。
健康を回復した後に東京の農場試験場に勤め、
牧畜の技術を習得。
長府に戻って自営牧場を営みながら、
乳牛の飼育や米の品種改良など、
農業一般の向上に尽くしました。
桂弥一は晩年に幕末志士達の顕彰事業を続け、… 続きを読む