戦国時代以前の[津]は[安濃津]と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。
信長が本能寺の変… 続きを読む
戦国時代以前の[津]は[安濃津]と呼ばれ、
伊勢国の経済の中心地であったようです。
鎌倉時代以降は長野家が支配していましたが、
織田信長の伊勢侵攻によって織田家領となり、
安濃津城には織田信包が入りました。
信長が本能寺の変… 続きを読む
伊勢亀山城は古くからの豪族関家の居城で、
戦国時代の当主関盛信は織田信長に降り、
信長の三男神戸信孝の配下となります。
しかし信孝とソリが合わなかった為、
近江の日野城に移されていますが、
羽柴秀吉配下の樋口直房… 続きを読む
四日市代官所は天領三重郡25村を支配し、
その司法、行政を司った代官所。
「東海道分間延絵図巻九」より。
四日市宿は東海道の43番目の宿場で、
絵図のように陣屋が置かれています。
「四日市宿陣屋」説明板。
四日市代官所陣屋跡は、
四日市市立中部小学校の敷地。
正門脇に説明板が設置されています。
「四日市市立中部西小学校… 続きを読む
桑名市での仕事で昼休みを利用して墓参り。
箱館新選組には多くの桑名藩士が在籍し、
周辺には隊士の墓所が点在しています。
桑名市萱町周辺(法盛寺/十年寺/善西寺の場所)
「法盛寺」。
西御坊と呼ばれる浄土真宗本願寺派の大寺。
末寺200ヶ寺を抱えていたという。
「… 続きを読む
見性寺は菰野藩藩主土方家の菩提寺。
2代土方雄高が尾張から三霊和尚を招き、
土方家の菩提寺として創建されました。
「山門」。
山門は享保11年(1726)に再建されたもの。
「本堂」。
禅宗の方丈建築様式の本堂。… 続きを読む
菰野藩は江戸時代を通じ土方家が治め、
石高1万2000石の小藩でしたが、
年貢の取立てが比較的緩やかだった為に、
一度も一揆が起こらなかった珍しい藩です。
藩主の土方家は織田家家臣で、
土方雄久の頃には織田信雄に仕えており、
信雄が豊臣秀吉に改易されると、
秀吉の家臣となっています。
秀吉死後も豊臣秀頼… 続きを読む
顕本寺には幕末桑名藩士の墓が多く、
リサーチ不足で網羅は出来ませんが、
一部の幕末藩士の墓を紹介します。
「西郷朝秋之墓」。
元桑名藩士西郷朝秋の墓。
西南戦争で私学校攻撃に参加しますが、
負傷して離脱。戦病死しています。
「道源院無外日信居士」。
神風隊玉井五郎兵衛… 続きを読む