関宿は東海道の47番目の宿場。
江戸~明治期の町屋が約2百軒も現存し、
往時の宿場風情を色濃く残しています。
東口から散策。
「東の追分」。
関宿は古くからの交通の要衝であり、
古代三関のひとつ鈴鹿関が置かれ、
地名の関はこの事に由来しました。
東の追分は… 続きを読む
三重県亀山市 関宿跡
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関宿は東海道の47番目の宿場。
江戸~明治期の町屋が約2百軒も現存し、
往時の宿場風情を色濃く残しています。
東口から散策。
「東の追分」。
関宿は古くからの交通の要衝であり、
古代三関のひとつ鈴鹿関が置かれ、
地名の関はこの事に由来しました。
東の追分は… 続きを読む
亀山宿は東海道の46番目の宿場。
伊勢亀山城の城下町でもある為、
宿場は坂道が多くて曲がりくねっており、
見通しが悪いのが特徴です。
亀山市街周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかしている辺りが亀山宿。
宿場は非常に複雑に曲りくねっていました。
東口より散策。
「東町」。
東町は商店街となって往時の面影は皆無。
亀山宿は規模は大きいものの、
本陣、… 続きを読む
下館城は室町時代に築城された城で、
結城氏広の家臣水谷勝氏が下館を与えられ、
築城したのが始まりとされますが、
藤原秀郷が平将門追討の際に、
築城したともされます。
江戸時代に入っても水谷家の居城でしたが、
2代藩主水谷勝隆が成羽藩… 続きを読む
伊勢亀山城は古くからの豪族関家の居城で、
戦国時代の当主関盛信は織田信長に降り、
信長の三男神戸信孝の配下となります。
しかし信孝とソリが合わなかった為、
近江の日野城に移されていますが、
羽柴秀吉配下の樋口直房… 続きを読む