奥の院墓地にある岩国吉川家の墓所。
毛利元就の次男吉川元春は毛利家覇業の為、
三男小早川隆景と共に「毛利両川」として活躍。
主に山陰地方の抑えを担当していました。
特に軍事面では卓越した能力を発揮し、
元春は生涯で76の戦を行ってますが、
一度も敗戦が無かったとされます。
毛利家が… 続きを読む
高野山奥の院墓地/岩国吉川家墓所
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奥の院墓地にある岩国吉川家の墓所。
毛利元就の次男吉川元春は毛利家覇業の為、
三男小早川隆景と共に「毛利両川」として活躍。
主に山陰地方の抑えを担当していました。
特に軍事面では卓越した能力を発揮し、
元春は生涯で76の戦を行ってますが、
一度も敗戦が無かったとされます。
毛利家が… 続きを読む
元和8年(1622)頃に初代岩国領主吉川広家は、
通津に隠居して如兼と称して余生を過ごし、
茶の湯を楽しんだとされます。
如兼は[櫻井戸]と呼ばれた井戸の水と、
京都御所の[柳の水]を比較したとされ、
どちらも遜色ない水であったという。
如兼が広島藩家老… 続きを読む
吉川元春は毛利元就の次男で、
生涯76無敗の戦績を残しており、
戦国最強武将のひとりに挙げられます。
安芸の名門吉川家を相続し、
弟の小早川隆景と共に毛利家を支え、
毛利両川の一角として山陰地方を担当。
その子孫は… 続きを読む
錦帯橋は岩国の錦川に架かる有名な橋で、
世界的にも珍しい木造アーチ構造の橋。
吉川家が岩国の領主となってから、
錦川には何度も橋が架けられましたが、
洪水で何度も橋は流れていた為、
3代領主吉川広嘉がこれを憂い、
洪水に耐えられる橋の建設を計画。
明の帰化僧独立性易から杭州西湖の橋が、
橋脚を石垣にしているという情報から、
家臣の児玉九郎右衛門に設計させ、… 続きを読む