慶応元年に神戸海軍操練所は廃止され、
勝海舟は軍艦奉行を罷免され、
勝の私塾神戸海軍塾も閉鎖となります。
坂本龍馬ら塾生の後事を案じた勝は、
彼らの庇護を薩摩藩に依頼。
薩摩藩は彼らに給金を出しており、
海軍塾出身の浪士集団が形成されました。
これが亀山社中となり… 続きを読む
長崎県長崎市 亀山社中跡
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慶応元年に神戸海軍操練所は廃止され、
勝海舟は軍艦奉行を罷免され、
勝の私塾神戸海軍塾も閉鎖となります。
坂本龍馬ら塾生の後事を案じた勝は、
彼らの庇護を薩摩藩に依頼。
薩摩藩は彼らに給金を出しており、
海軍塾出身の浪士集団が形成されました。
これが亀山社中となり… 続きを読む
長崎市街の東側に位置する風頭山。
その頂上に坂本龍馬像があります。
風頭山には10年前にバスツアーで訪問し、
長崎日帰りバスツアー②
みよちゃんを抱えて麓まで下りましたが、
今回はゆきちゃんを連れて来ました。
流石に麓までは行きませんが、
懐かしの史跡を巡ってみます。
「坂本龍馬之像… 続きを読む
大仏南門(蓮華王院南大門)の東側に、
土佐浪士らが同居した場所がありました。
「土佐志士寓居跡」。
現在の法住寺駐車場にあたる場所に、
河原屋五兵衛の隠居所があったようで、
これを借りて坂本龍馬、中岡慎太郎、
北添佶摩、望月亀弥太… 続きを読む
松林院墓地は鷹匠町にある墓地で、
本材木町にある松林院の飛地境内。
「松林院墓地」。
かつては宗玄寺という寺でしたが、
現在は松林院の墓地となっています。
「實徳院正罔信士
喜道院妙持信女
一窓院運香日快信士
窓香院妙華日筐信女(左)」。
寺田屋当主の歴代墓所。… 続きを読む
寺田屋は慶長2年に伏見に開業し、
三十石船と寺田屋浜を持った船宿。
※三十石船は大坂と京都を結ぶ通船。
店が置かれた京橋周辺は京への入口で、
薩摩藩の常宿に指定されており、
また西国雄藩の藩士らも宿泊した為、
大変に繁盛していたという。
幕末期の当主寺田屋伊助… 続きを読む
中書島は四方を川に囲まれた場所で、
※南:宇治川、西:濠川、北/東:宇治川派流。
脇坂安治が中務少輔となり屋敷を建てると、
その役職の唐名[中書]から[中書様]と呼ばれ、
[中書様の住む島… 続きを読む
中書島は四方を川に囲まれた場所で、
※南:宇治川、西:濠川、北/東:宇治川派流。
脇坂安治が中務少輔となり屋敷を建てると、
その役職の唐名[中書]から[中書様]と呼ばれ、
[中書様の住む島… 続きを読む