大安寺は西都市鹿野田にある曹洞宗寺院。
始め総昌院と呼ばれていたようですが、
後に大安寺に改められたという。
※改称時期は不明。
都於郡城5代城主伊東祐尭が菩提寺とし、
伊東家の墓所となり庇護されていたようで、
後に伊東家が離れて島津家が入ると、
島津家の菩提寺のひとつとなっています。
「本堂… 続きを読む
宮崎県西都市 大安寺/島津忠将供養塔
コメントを残す
大安寺は西都市鹿野田にある曹洞宗寺院。
始め総昌院と呼ばれていたようですが、
後に大安寺に改められたという。
※改称時期は不明。
都於郡城5代城主伊東祐尭が菩提寺とし、
伊東家の墓所となり庇護されていたようで、
後に伊東家が離れて島津家が入ると、
島津家の菩提寺のひとつとなっています。
「本堂… 続きを読む
細川忠興の五男細川興孝は、
忠興より2万5000石を与えられ、
※後に1万石となる。
一門家老家として細川刑部家を創設。
泰勝寺塔頭慈眼庵を墓所としています。
「細川刑部家墓所」。
慈眼庵は維新後に廃寺となっており、
現在は細川刑部家墓所のみ残ります。… 続きを読む
峰雲院は中央区坪井にある曹洞宗寺院。
熊本藩家老有吉家4代有吉英貴が、
寛永11年(1634)に建立しました。
同地は元々有吉家の下屋敷だったという。
「本堂」。
峰雲院は西南戦争で焼失しており、
昭和49年に再建されています。
墓地は本堂の裏手。… 続きを読む
見性寺は中央区坪井にある臨済宗の寺院。
熊本藩家老米田家三代米田是季により、
父米田是政の菩提を弔う為に建立されました。
「本堂」。
幕末期には修行僧が60名程在籍し、
坐禅道場… 続きを読む
細川忠興の嫡男だった長岡忠隆は、
前田利家の七女千世姫を正室としますが、
石田三成が細川ガラシャを人質とする為、
大坂玉造の細川屋敷を包囲した際、
千世姫は姉の豪姫の指図で前田屋敷に避難。
ガラシャは家臣に自らを殺させて、
屋敷を火薬で爆破させていますが、
千世姫が義母を置いて逃げた事が発覚し、
忠興は激怒して忠隆に… 続きを読む
国司家6代当主国司元武は、
父国司元相の隠居により家督を継ぎ、
毛利家五奉行のひとりとして活躍。
毛利輝元の守役も務めており、
輝元より絶大な信頼を得ていたという。
息子の早世で跡取りが居なかった為、
弟の国司元蔵に家督を譲りますが、
隠居後も朝鮮出兵… 続きを読む
海蔵寺は応永年間(1394-1427)に、
唐僧慈眼禅師が力箭山(行者山)に創建。
永正元年(1504)に洞雲寺四世興雲宗繁が、
曹洞宗に改宗したとされます。
「本堂」。
行者山より現在地に移転したのは、… 続きを読む