以前、太宰府天満宮参道にあった薩摩藩や、
長州藩の常宿を紹介しましたが、
今回は幕府方の常宿「旧日田屋」を紹介。
太宰府天満宮の門前六町のうち、
大町は門前町の中心地だったようで、
参拝者の為の旅館が軒を連ねていました。… 続きを読む
福岡県太宰府市 旧日田屋
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以前、太宰府天満宮参道にあった薩摩藩や、
長州藩の常宿を紹介しましたが、
今回は幕府方の常宿「旧日田屋」を紹介。
太宰府天満宮の門前六町のうち、
大町は門前町の中心地だったようで、
参拝者の為の旅館が軒を連ねていました。… 続きを読む
奥の院墓地にある三州久貝家の墓所。
久貝家は今川家家臣だった家で、
久貝正勝の代で徳川家康に仕えています。
「祖閞院殿不用道無大居士(中央)」。
旗本寄合久貝正俊の墓。
正俊は久貝正勝の子として生まれ、
徳川秀忠の… 続きを読む
堺台場は旧堺港に築かれていた台場で、
南北に分けて設置されていました。
北台場は安政2年、南台場は安政5年に完成し、
後に堺警備を担当した彦根藩によって、
元治元年より南台場の改築が行われています。
彦根藩が堺警備の任を解かれた後は、
堺奉行がその改築工事を引き継いだようで、… 続きを読む
兵庫津は古くは大輪田泊と呼ばれ、
天然の良港として栄えた場所でした。
やがて平清盛による大修築が行われ、
福原京の造営も行われますが、
清盛の死後に平家は滅亡。
それでもその立地から発展を繰り返し、
室町時代には日明貿易の拠点、… 続きを読む
嘉永6年(1853)のペリー来航を受けた幕府は、
江戸湾に11基の台場造営を計画し、
嘉永7年(1854)江川英龍の指揮で建設が開始。
第一台場から第三台場が先に竣工し、
その後に第五台場、第六台場が竣工します。
しかし計画の縮小で… 続きを読む
現龍院墓地にある三枝守恵の墓所。
大名ではありませんが徳川家光に殉じ、
慶安4年(1657)4月20日に殉死しています。
「静心院殿一無了性大居士(右)」、
「珪室常光禪定門(左)」。
旗本寄合席6000石三枝守恵の墓と、
その家臣秋葉又右衛門の墓。
守恵は元和2年(1616)に家光の小姓… 続きを読む
富高は元々延岡藩領だったようですが、
元禄5年(1692)に幕府直轄領となり、
富高代官所が置かれました。
宮崎県日向市 富高代官所陣屋跡
「富高宿跡」。
現在の県道226号線沿いが日向街道。
片側2車線の広い道路となっており、… 続きを読む