幕長戦争の石州口の戦い(石州戦争)は、
大村益次郎が直接指揮を執り、
長州軍を勝利に導いたとされています。
その通りではあるのですが、
それだけが勝利の要因ではなく、
兵装の違い、士気の違い、戦術の違い等、
色々な要素が重なった結果の勝利でした。
その勝利の要因のひとつとして、
石見の民衆の動向が挙げられており、… 続きを読む
幕長戦争の石州口の戦い(石州戦争)は、
大村益次郎が直接指揮を執り、
長州軍を勝利に導いたとされています。
その通りではあるのですが、
それだけが勝利の要因ではなく、
兵装の違い、士気の違い、戦術の違い等、
色々な要素が重なった結果の勝利でした。
その勝利の要因のひとつとして、
石見の民衆の動向が挙げられており、… 続きを読む
三田尻が幕府によって攻め落とされた場合、
萩往還を上って山口は目と鼻の先となります。
もちろん三田尻は軍港ですので、
何が何でも死守せねばならない拠点ですが、
それだけに狙われる可能性がありました。
そこで防府と山口の境に砲台を設置し、
防御の勝坂砲台が建設されます。
防府市下右田周辺(勝坂砲台跡の場所)
三田尻から山口に侵攻する為には、
右田ヶ岳… 続きを読む
山田宇右衛門は正義派政権の政務首座を務め、
桂小五郎と共に幕府に対抗した人物。
吉田大助に山鹿流兵学を学び、
大助の養子吉田松陰の後見役となります。
松陰に多大な影響を与えたともされ、
世界事情に通じた山田亦介も紹介しており、
尊皇攘夷思想は持っていたようですが、
官僚として優秀な人物だったようで、
郡奉行や代官所を勤め藩政に関わり、… 続きを読む