桑名藩」タグアーカイブ

三重県桑名市 照源寺/久松松平家墓所

徳川家康の異父弟松平定勝の死後、
2代将軍徳川秀忠の命によって、
定勝の次男松平定行崇源寺を建立し、
※寺名の由来は定勝の法号崇源院殿による。
定勝の遺骸を埋葬して菩提寺とします。
後に定行は4万石加増で伊予松山藩へ移り、
桑名藩には定行の弟… 続きを読む

京都府京都市 蛤御門

蛤御門京都御所外郭九門の一つで、
正式名称は[新在家御門]といいます。
蛤御門は通称で御所外郭の火災の際、
通常閉じられていた門が開かれた為、
炙ると開くになぞらえて呼ばれた俗称。
都人の洒落で名付けられたわけです。

ここは禁門の変の戦端が切られた場所で、
禁門の変は別名蛤御門の変続きを読む

三重県桑名市 箱館新選組隊士の墓を巡る

桑名市での仕事で昼休みを利用して墓参り。
箱館新選組には多くの桑名藩士が在籍し、
周辺には隊士の墓所が点在しています。


桑名市萱町周辺(法盛寺/十年寺/善西寺の場所)


法盛寺」。
西御坊と呼ばれる浄土真宗本願寺派の大寺。
末寺200ヶ寺を抱えていたという。


「… 続きを読む

三重県桑名市 顕本寺/服部半蔵墓所

服部半蔵といえば服部半蔵正成が有名。
この[半蔵]という通称は、
当主が代々受け継いで名乗っています。
昭和60年放送の時代劇[影の軍団Ⅳ]で、
15代目服部半蔵が影の軍団を率い、
幕府と対立するという話がありましたが、
実際にはそんな事はしていません。
一般的に半蔵として知られる正成の死後、
その嫡男服部正就が半蔵の名を襲名。
伊賀同心続きを読む

三重県桑名市 桑名城跡

その手は桑名の焼蛤は有名な地口ですが、
焼き蛤の名産として有名なのは、
桑名宿四日市宿間の富田立場という場所で、
茶屋等で焼かれる香ばしい焼き蛤の香りが、
お伊勢参りの客を魅了していたそうです。
この富田立場は桑名藩領であった為、
桑名の焼蛤として認知されていました。

昨今の本多忠勝続きを読む

高須四兄弟 松平定敬

左から、
八男松平定敬、七男松平容保
五男徳川茂栄、次男徳川慶勝
高須藩10代松平義建の子供らで、
幕末期に重要な藩の藩主であった4人を、
高須四兄弟と呼ばれました。
松平義建の子供は10人いるのですが、
他の兄弟は早くに死去しており、… 続きを読む