禁門の変」タグアーカイブ

山口県宇部市 万倉護国神社

禁門の変の責で自刃した三家老国司親相
彼を祀る万倉護国神社に行ってきました。


万倉護国神社」。
幕末の万倉領主国司親相と、
その家臣26名を祀る峠山招魂場が、
奥万倉土井に建立されていましたが、
それとは別に昭和17年に万倉村民により、… 続きを読む

山口県長門市 竹内正兵衛墓所

竹内正兵衛禁門の変四参謀のひとり。
大組士八谷正左衛門通聰の5男に生まれ、
母のヒデは村田清風の妹でした。
従って竹内は清風の甥という事になります。
大組士竹内正太郎勝友の養嫡子となり、
清風の次女のコマを妻としました。

竹内は数字に明るかったようで、
藩の財務関係続きを読む

山口県萩市 益田家墓所②

/②
つづき。


雄嶽院殿快翁全活大居士塔」。
29代(11代)当主益田就祥の墓。
28代益田広尭の嫡男として生まれ、
父の死去により家督を相続。
美濃伊勢の河川普請総奉行を務め、
笠松代官所に出向しました。
逼迫する藩の財政の打開策として、
撫育方続きを読む

山口県萩市 益田家墓所①

益田家は長州藩の永代家老家で、
長州領北東端須佐を所領としていました。
益田家は鎌倉時代より、
現在の島根県益田市を本拠としていますが、
関ヶ原の戦いで主家が減封した為、
代々統治した所領を手放しています。
益田の隣須佐が所領とされたのは、
益田を取り戻すつもりだったのか?
それとも単なる偶然?… 続きを読む

山口県美祢市 来嶋又兵衛関連史跡

美祢市南端の厚保町栗の産地として有名で、
栗の木に適した土壌を持ち、
江戸時代後期より栽培されていました。
その大きくて甘い厚保栗は、
現在も盛んに栽培されています。

その厚保にある来島又兵衛関連の史跡。
又兵衛は無給通士喜多村政倫の次男に生まれ、
初名は亀之進といいました。… 続きを読む

山口県防府市 周防国分寺

聖武天皇の詔により建立された周防国分寺
創建当初のままの規模で寺域が残っており、
全国的にも珍しい例とされています。


金堂」。
多くの仏像、宝物が残っている金堂。
建物も国指定重要文化財です。

↓周防国分寺の重文リスト
金堂
 木造薬師如来坐像(附:木造仏手1箇)
 木造日光菩薩・月光菩薩立像
 木造阿弥陀如来坐像
 木造四天王立像
 紺紙金泥般若心経
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山口県萩市 東光寺/長州藩毛利家墓所

東光寺は3代藩主であった毛利吉就が、
元禄4年(1691)に建立した毛利家菩提寺
3代吉就の他、5代吉元、7代重就、9代斉房
11代斉元奇数代の藩主が眠っています。


「… 続きを読む