禁門の変の責で自刃した三家老の国司親相。
彼を祀る万倉護国神社に行ってきました。
「万倉護国神社」。
幕末の万倉領主国司親相と、
その家臣26名を祀る峠山招魂場が、
奥万倉土井に建立されていましたが、
それとは別に昭和17年に万倉村民により、… 続きを読む
禁門の変の責で自刃した三家老の国司親相。
彼を祀る万倉護国神社に行ってきました。
「万倉護国神社」。
幕末の万倉領主国司親相と、
その家臣26名を祀る峠山招魂場が、
奥万倉土井に建立されていましたが、
それとは別に昭和17年に万倉村民により、… 続きを読む
竹内正兵衛は禁門の変の四参謀のひとり。
大組士八谷正左衛門通聰の5男に生まれ、
母のヒデは村田清風の妹でした。
従って竹内は清風の甥という事になります。
大組士竹内正太郎勝友の養嫡子となり、
清風の次女のコマを妻としました。
竹内は数字に明るかったようで、
藩の財務関係… 続きを読む
益田家は長州藩の永代家老家で、
長州領北東端須佐を所領としていました。
益田家は鎌倉時代より、
現在の島根県益田市を本拠としていますが、
関ヶ原の戦いで主家が減封した為、
代々統治した所領を手放しています。
益田の隣須佐が所領とされたのは、
益田を取り戻すつもりだったのか?
それとも単なる偶然?… 続きを読む
美祢市南端の厚保町は栗の産地として有名で、
栗の木に適した土壌を持ち、
江戸時代後期より栽培されていました。
その大きくて甘い厚保栗は、
現在も盛んに栽培されています。
その厚保にある来島又兵衛関連の史跡。
又兵衛は無給通士喜多村政倫の次男に生まれ、
初名は亀之進といいました。… 続きを読む
聖武天皇の詔により建立された周防国分寺。
創建当初のままの規模で寺域が残っており、
全国的にも珍しい例とされています。
「金堂」。
多くの仏像、宝物が残っている金堂。
建物も国指定重要文化財です。
↓周防国分寺の重文リスト
金堂
木造薬師如来坐像(附:木造仏手1箇)
木造日光菩薩・月光菩薩立像
木造阿弥陀如来坐像
木造四天王立像
紺紙金泥般若心経 … 続きを読む
東光寺は3代藩主であった毛利吉就が、
元禄4年(1691)に建立した毛利家菩提寺。
3代吉就の他、5代吉元、7代重就、9代斉房、
11代斉元と奇数代の藩主が眠っています。
「… 続きを読む