鳥取藩の支藩鳥取西館新田藩は、
鳥取藩が自領で開墾して増やした新田を、
鳥取藩2代藩主池田綱清が、
弟の池田清定(初代光仲の四男)に分知し、
幕府に認められて立藩した藩です。
もうひとつの支藩鳥取東館新田藩と同様に、
鳥取藩の蔵米を支給される形式で、… 続きを読む
鳥取藩の支藩鳥取西館新田藩は、
鳥取藩が自領で開墾して増やした新田を、
鳥取藩2代藩主池田綱清が、
弟の池田清定(初代光仲の四男)に分知し、
幕府に認められて立藩した藩です。
もうひとつの支藩鳥取東館新田藩と同様に、
鳥取藩の蔵米を支給される形式で、… 続きを読む
禁門の変の敗戦後、
指揮を取った三家老は自領で謹慎。
その後第一次長州征伐での降伏条件として、
三家老の切腹、四参謀の斬首が要求され、
当時の俗論党政府はこれを受け入れた為、
三家老は徳山藩に預けられます。
国司親相は澄泉寺、… 続きを読む
県下22の招魂場のひとつ吉敷招魂場は、
吉敷毛利家家臣を招魂する為に、
慶応2年に吉敷毛利家により建立。
吉敷毛利家菩提寺玄済寺の近くの天神山に、
吉敷招魂場は建立されていますが、
元は歴代祖公を祀る宣徳社があった場所。
山口氏吉敷周辺(吉敷招魂場の場所)。
「天神山公園」。
天神山といっても小さな丘のような場所。… 続きを読む
精兵隊発起人のひとり有川恒槌の墓が、
長府の功山寺にあります。
「有川紀綱神霊塚」。
有川家墓所の隅の古い墓石と共に、
並べられていました。
有川恒槌は別名有川紀綱ともいい、
長府藩士有川乃右衛門の長男として生まれ、
一を聞けば二を知ると噂されており、
幼い頃より秀才として周囲に知られ、… 続きを読む
国司家の菩提寺天龍寺のすぐ横の神社。
「広矛神社」。
元々は若一王子神社と称し、
鎌倉時代建立のようですが詳細は不明。
大己貴神、事代主命、武御名方命が祭神。
代々万倉領主の庇護を受け、
社殿も数度の修造をされており、
棟札も残されているようです。… 続きを読む
宇部市万倉にある天龍寺に、
三家老のひとり国司親相の墓所があります。
「天龍寺本堂」。
天龍寺は万倉領主国司家の菩提寺。
本堂は最近の建物のようです。
「国司家墓所」。
7、10、12~21代当主の墓所。
7代国司元相は130余の首級を挙げ、
足利将軍にも認められた槍の名手ですが、… 続きを読む
禁門の変の責で自刃した三家老の国司親相。
彼を祀る万倉護国神社に行ってきました。
「万倉護国神社」。
幕末の万倉領主国司親相と、
その家臣26名を祀る峠山招魂場が、
奥万倉土井に建立されていましたが、
それとは別に昭和17年に万倉村民により、… 続きを読む