明治期に県令等を歴任した楫取素彦は、
主である毛利敬親が死去した際、
一時期職を辞して隠居していました。

「桜楓山荘跡」。
長門国三隅の山奥に家を建て、
村人に植林や開墾を指導しています。
その際に住んでいたのかこの桜楓山荘跡。
住居があった事を示す石碑があるだけで、
残念ながら何も残っておりませんが、
大河ドラマ… 続きを読む
明治期に県令等を歴任した楫取素彦は、
主である毛利敬親が死去した際、
一時期職を辞して隠居していました。
「桜楓山荘跡」。
長門国三隅の山奥に家を建て、
村人に植林や開墾を指導しています。
その際に住んでいたのかこの桜楓山荘跡。
住居があった事を示す石碑があるだけで、
残念ながら何も残っておりませんが、
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円政寺は大内氏の祈願寺で、
今の山口市円政寺町にありました。
大内氏滅亡後も毛利氏から保護され、
毛利氏が萩へ築城すると同時に、
この地に移転してきました。
境内に金比羅社があるためか、
入り口には鳥居があります。
この寺の住職恵運と伊藤博文の母(林琴子)が、
従兄妹だということで、
伊藤(当時林利輔)はこの寺に、
一年半預けられていたそうです。… 続きを読む
長門峡から流れ込む阿武川が、
橋本川と松本川の二つの川に分れて、
その三角州が萩の城下町なのですが、
その両川が分かれてすぐの川島という地域。
ここに城下へ流れる水路があります。
「藍場川」と呼ばれる… 続きを読む
楫取素彦旧宅跡の近くには、
山田顕義の誕生地があります。
「山田顕義誕生地」。
幕末期は山田市之允として知られ、
箱館戦争の立役者としても有名です。
戦術の天才であったようですが、
山縣有朋との確執により軍部を離れ、
日本大学の創始者となりました。
「顕義園」。
誕生地は整備されて銅像もあります。… 続きを読む
大河[花燃ゆ]で活躍中の小田村伊之助。
維新後は楫取素彦と名前を改めています。
その楫取素彦の旧宅跡に行ってみました。
「楫取素彦舊宅址」。
跡碑に足を掛けていますが、
若干1歳児ですのでお許しください。
時期は明らかではないそうですが、
ここに旧宅があった場所だそうです。
「時期は明らかではない」って、
大まかにもわからないのでしょうかね?
ここに寿と暮らしていたのか?
それとも文と暮らしていたのか?… 続きを読む