峰雲院は中央区坪井にある曹洞宗寺院。
熊本藩家老有吉家4代有吉英貴が、
寛永11年(1634)に建立しました。
同地は元々有吉家の下屋敷だったという。
「本堂」。
峰雲院は西南戦争で焼失しており、
昭和49年に再建されています。
墓地は本堂の裏手。… 続きを読む
熊本県熊本市 峰雲院/有吉家墓所
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峰雲院は中央区坪井にある曹洞宗寺院。
熊本藩家老有吉家4代有吉英貴が、
寛永11年(1634)に建立しました。
同地は元々有吉家の下屋敷だったという。
「本堂」。
峰雲院は西南戦争で焼失しており、
昭和49年に再建されています。
墓地は本堂の裏手。… 続きを読む
見性寺は中央区坪井にある臨済宗の寺院。
熊本藩家老米田家三代米田是季により、
父米田是政の菩提を弔う為に建立されました。
「本堂」。
幕末期には修行僧が60名程在籍し、
坐禅道場… 続きを読む
細川忠興の嫡男だった長岡忠隆は、
前田利家の七女千世姫を正室としますが、
石田三成が細川ガラシャを人質とする為、
大坂玉造の細川屋敷を包囲した際、
千世姫は姉の豪姫の指図で前田屋敷に避難。
ガラシャは家臣に自らを殺させて、
屋敷を火薬で爆破させていますが、
千世姫が義母を置いて逃げた事が発覚し、
忠興は激怒して忠隆に… 続きを読む
国司家6代当主国司元武は、
父国司元相の隠居により家督を継ぎ、
毛利家五奉行のひとりとして活躍。
毛利輝元の守役も務めており、
輝元より絶大な信頼を得ていたという。
息子の早世で跡取りが居なかった為、
弟の国司元蔵に家督を譲りますが、
隠居後も朝鮮出兵… 続きを読む
海蔵寺は応永年間(1394-1427)に、
唐僧慈眼禅師が力箭山(行者山)に創建。
永正元年(1504)に洞雲寺四世興雲宗繁が、
曹洞宗に改宗したとされます。
「本堂」。
行者山より現在地に移転したのは、… 続きを読む
禅林寺は広島藩家老上田家の菩提寺で、
福島正則が創建した臨済宗の寺院。
原爆によりその全てが焼失しており、
戦後に復興しています。
「本堂」。
福島正則が海国寺五世高厳… 続きを読む
南洲墓地にある桂久武の墓。
「桂久武墓」。
大小荷駄隊本部長桂久武の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
日置島津家12代島津久風の五男で、
一所持桂家15代桂久徴… 続きを読む