盛岡藩」タグアーカイブ

秋田県大館市 相馬大作事件之地

相馬大作事件盛岡藩士下斗米秀之進が、
弘前藩主を暗殺しようとした事件。
文政4年(1821)に発生したこの事件は、
下斗米が相馬大作と名を変えて潜伏した為、
相馬大作事件と呼ばれました。

吉田松陰はこの事件に強い影響を受けており、
事件から30年後の東北遊学の際に、
その暗殺未遂の現場を訪れて、
案内人に暗殺が成功したかを訪ねています。
※ただ松陰は場所を勘違いしており、続きを読む

青森県上北郡 七戸城跡②

前回のつづき。
/②


七戸城東門」。
七戸城の東門は文献に残る記録を基に、
平成20年に復元されたもの。
本城と呼ばれる本丸二ノ丸と、
貝の口と呼ばれる郭の谷間にあります。
訪問時は門が閉まっていました。
仕方なく脇から入って中へ・・・。


「… 続きを読む

青森県上北郡 七戸城跡①

①/

盛岡南部家支流の旗本寄合麹町南部家は、
盛岡藩より蔵米6000石の新田分地を受け、
定府大名盛岡新田藩となりました。
2代南部信誉北方警備の功績によって、
無城大名から… 続きを読む

青森県上北郡 野辺地湊

野辺地湊北前船の寄港地として栄え、
大豆などの産物を積み出す船や、
大坂からの生地
日用品などを降ろす船で賑わました。


青森県北東部周辺。赤丸が野辺地湊。
陸奥湾の最奥部にあたります。


浜町の常夜燈続きを読む

青森県上北郡 野辺地戦争関連史跡

盛岡藩領内に侵攻した弘前藩黒石藩兵は、
馬門村に進入すると次々に放火を開始。
民家64戸と遍照寺が焼失してしまいます。
この馬門にあった番所も焼失しており、
虚を突かれた役人及び守備兵は、
野辺地方面に逃走しました。


馬門御番所跡」。… 続きを読む

青森県上北郡 馬門宿跡

藩境塚より1km程南西に進むと馬門の集落。
この集落に馬門宿がありました。
北側には盛岡藩と黒石藩の藩境があり、
南部家と津軽家は仲が悪かった為に、
厳しい検問があったようです。


馬門宿跡」。
ごく普通の集落といった感じで、
古い家屋もありません。


馬門御番所跡」。
藩境を越えるにはここで手形を見せて、
先程の藩境塚を通る必要があります。
厳しく取り締まられてとされますが、
吉田松陰続きを読む

青森県上北郡 藩境塚

盛岡藩南部家鎌倉時代から続く名門で、
戦国時代には現在の岩手県中北部と、
青森県全域を掌握していました。
しかしその一族である大浦為信は、
南部家に反旗を翻して独立を図り、
中央の豊臣政権に対する工作が功を奏して、
津軽氏を名乗って大名として独立。
幕府続きを読む