福井藩5代及び7代藩主松平昌親(吉品)は、
支藩吉井藩の藩主でしたが、
兄で4代藩主の松平光通が継嗣なく自刃し、
その遺言によって福井藩主となっています。
しかしながらこの藩主就任は、
幕府裁定によって遺言が重視されたもので、
昌親や光通の兄松平昌勝を推す派閥や、
光通の庶子松平直堅を推す派閥には、… 続きを読む
福井県福井市 瑞源寺/松平吉品墓所
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福井藩5代及び7代藩主松平昌親(吉品)は、
支藩吉井藩の藩主でしたが、
兄で4代藩主の松平光通が継嗣なく自刃し、
その遺言によって福井藩主となっています。
しかしながらこの藩主就任は、
幕府裁定によって遺言が重視されたもので、
昌親や光通の兄松平昌勝を推す派閥や、
光通の庶子松平直堅を推す派閥には、… 続きを読む
福井藩越前松平家の菩提寺である大安寺は、
田谷寺という大寺院の跡に創建され、
殆どの建物を創建当時のまま残しています。
田谷寺は48の坊舎を持つ大寺院でしたが、
織田信長の越前侵攻で全て焼失してしまい、
その後80余年放置されていたという。
この跡地に4代松平光通が大安寺を創建し、
越前松平家の永代菩提所としています。
開山の大愚禅師は… 続きを読む
豊臣秀吉の正室北政所の兄木下家定は、
関ヶ原の戦いで中立を保ち、
足守に2万5000石を与えられました。
家定の死去の後、
幕府は遺領を長男と次男で分ける様に指示。
しかし長男木下勝俊が遺領を独占した為に、
次男木下利房が不服として幕府に訴え、
勝俊は… 続きを読む
岡山藩池田家の歴代墓所は、
和意谷池田家墓所と正覚谷池田家墓所。
和意谷の方は儒式の墓所で、
姫路藩初代池田輝政、2代池田利隆、
岡山藩初代池田光政、8代池田慶政、… 続きを読む
瑞雲院に戸沢家の歴代墓所がありますが、
2代戸沢正誠の墓は桂嶽寺にあります。
「桂嶽寺」。
元々万年寺という太田にあった寺でしたが、
幼くして亡くなった息子戸沢政武を弔う為、
万年寺を新庄城… 続きを読む
玄要寺は丸亀藩京極家の菩提寺で、
京極家の領地移転に伴って同じく移転し、
初代京極高和が丸亀に入封すると、
それに伴い現在地に移転しました。
但し京極家墓所は滋賀の徳源院のままで、
藩主は所領が変わっても徳源院に葬られ、
玄要寺は幕末期の藩主京極高朗の墓のみ。
支藩多度津藩京極家の墓所もあります。
※江戸の墓所は港区の… 続きを読む
龍光寺は足利尊氏の開基とされ、
下野国における安国寺だったともされ、
当初の寺名は東勝寺であったという。
足利国朝が喜連川に入ってからは、
喜連川家の菩提寺として墓所も建てられ、
国朝の父足利頼純の法名より… 続きを読む